日本車で戦うことを選んだヒーロー、その永遠に語り継がれる足跡を追って|チャレンジし続ける「サムライ」魂 Vol.1|ピート・ブロック インタビュー

ライバルに先んじてエアロダイナミクスに注目し、 先進的なマシンセットアップを行い、勝利を積み重ねた。

       
【チャレンジし続ける「サムライ」魂/ピート・ブロック インタビュー  Vol.1】

ボディサイドを斜めに走る2本のラインと独特な形状のチンスポイラー。それは、SR311がサーキットに姿を現したときからの普遍のアイデンティティーだ。ライバルに先んじてエアロダイナミクスに注目し、先進的なマシンセットアップを行い、勝利を積み重ねた。全米でのダットサン(日産)躍進の立役者と言っても過言ではない。

− BRE、ピート・ブロック −

永遠に語り継がれるヒーローの足跡を追ってみたい。




日本車との出合い

 今でも多くの日産(ダットサン)ファンが、好んでレプリカを製作するBRE仕様。ボディサイドに斜めに入れられたブルーとレッドのストライプと、ボンネットやルーフなどのボディセンター部分を赤くペイントするカラーリングは、当時からスタイリッシュで、そのスタイリングは、登場から45年たった現代の視点から見ても斬新でセンス良いものに見える。

 そんなBREを率いていたのが、ピート(ピーター)・ブロックだ。1966年に自身のチームBREを立ち上げると、ダットサン2000ロードスター、240Z、510とマシンを替えながら、72年にレース活動を終了するまで、毎年各カテゴリーでチャンピオンを獲得。全米でのダットサンブランドの普及、車両の販売促進に大いに貢献した。ダットサンでのレース活動を最後にレースシーンからは姿を消したが、わずか5年間という短い活動期間だったことが、逆に鮮烈に記憶されているのかもしれない。

 「私は19歳の時に、GMで最年少のデザイナーとして入社し、コルベット(2代目)のデザインを手がけ、その後シェルビーに入社。そこでは、デイトナ・クーペの設計を行い、その後独立し、1966年にBREを設立しました。
 日本車との関係がスタートしたのはそのときからです。最初に日野、そしてダットサン(日産)です。日野との関係はとてもすばらしいものでしたが、1966年10月にトヨタと日野の業務提携が実現すると、日野のレース活動は中止を余儀なくされます。日野のエンジニアは、とてもすばらしく、情熱的で、エンジニアリングにおいても十分な実力がありましたから、日野とBREの関係があのまま続けば、日野は、レースの世界での成功はもちろん、レース技術をフィードバックして製作される市販車の世界でも優れたクルマを生み出すことができたはずです。とても残念に思います。
 私は、まだ日本車でレースを続けていきたいと思っていましたので、当時、日野でモータースポーツ活動を積極的に行っていた監査役の宮古忠啓さんに日産を紹介してもらい、そこから日産とのすばらしいパートナーシップがスタートしたのです。もちろん日産とBREの成功は、ミスターKこと片山豊さんの存在なくしては語れません。今でも、私は彼を尊敬していますし、彼は私にとってのスターなのです。モータースポーツ活動を理解し、ダットサンを全米トップクラスの人気車種に祭り上げ、まだまだ発展途上だった北米日産を大きく発展・成功させた人物です。私は今までたくさんの企業のトップとビジネスをしてきましたが、彼ほどの人物に出会ったことはありません。間違いなく彼がNo1だと言えます。私は、ここアメリカで、ダットサンの発展を支える仕事を、彼と一緒にできたことを今でも誇りを感じています」



SR311がサーキットに姿を現したときからの普遍のアイデンティティーである、ボディサイドを斜めに走る2本のラインと独特な形状のチンスポイラーなど【写真6枚】

Vol.2、Vol.3、Vol.4に続く


Peter Brock / ピート(ピーター)・ブロック

●1936年11月15日生まれ。ロサンゼルスのアート・センター・カレッジ在学中に、GMデザイン部門のヘッドハンターによりその才能を見いだされ、19歳という当時最年少の若さで、GMのデザインスタジオに入社。デザイナーとして、その才能をいかんなく発揮。在籍期間は59年までの約4年間だが、コルベアのデザインにかかわったほか、退社後に発売となった2代目コルベット・スティングレーも手がけた。●62年からはキャロル・シェルビーの片腕として手腕を発揮。空力に優れたシェルビー・デイトナ(デイトナ・クーペ)のデザインを担当。●65年シェルビーを退社し、翌年自らの会社であるBRE(Brock Racing Enterprises)を立ち上げ、日野コンテッサを駆り、アメリカのレースシーンで活躍。●1966年10月、日野がトヨタと業務提携を結んだことで、レース活動を中止すると、その後は、日産とパートナーシップを結び、レース活動を継続。1968〜69年はSR(L)311、1970〜71年は240Zと1971年の途中から1972年までは510で参戦。初年度の1968年から、レース活動を終える72年まで、参戦した各カテゴリーでチャンピオンを獲得するという偉業を成し遂げる。●1973年以降は、レースシーン、またクルマ業界から一切離れ、1980年代にはハンググライダーの会社を設立。世界的な成功を収める(その後に売却)。1990年代には、自動車専門誌などへの寄稿や書籍の執筆活動、カーデザインの講師として講義活動を行うなど多岐にわたって活躍。●現在は、ラスベガスにBREショップをオープンさせ、ハイエンドトレーラーの設計・販売を行う傍ら、好きなデイトナコブラや510、240Zのレストアやカスタマイズを請け負っている。
  
初出:ノスタルジックヒーロー 2014年2月号 Vol.161(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

チャレンジし続ける「サムライ」魂/ピート・ブロック インタビュー(全4記事)

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text : NOSTALGIC HERO / 編集部 photo : AKIO HIRANO / 平野 陽

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