大甘だったグロス表示から辛めのネット表示に。しかし10年でパワーとトルクは2倍に|排ガス規制を経て加速度的に飛躍、パワーウオーズの系譜 Vol.2

1989年 終着点の280psについに到達した。

       
【排ガス規制を経て加速度的に飛躍、パワーウオーズの系譜  Vol.2】

基準をクリアするのは不可能とまで言われたアメリカの排ガス規制マスキー法
それが発端となり日本でも排ガス規制が強化され、高性能車は牙を抜かれた
しかし、その反動から80年代に入ると一気にパワー競争に突入していったのだった

排ガス規制を経て加速度的に飛躍、パワーウオーズの系譜 (全2記事)

 1985年以降は徐々に国内でも世界の出力測定法に改められ、馬力とトルク表示は、大甘だったグロス表示から辛めのネット表示に変わる。見た目の数値は少なくなったが、実際にはパワーとトルクを増大させ、2LオーバーのDOHCターボはネット値で軽々と200psを超えるようになった。86年2月登場の2代目ソアラの7M‐GTEU型DOHCターボはネット表示で230ps/33.0kg‐m。国内最高出力の座をフェアレディZから奪い取った。

 そして時代が平成になった1989年、先陣を切ってZ32型フェアレディ300ZXが280psを達成した。3LのVG30DETT型DOHCツインターボはネット280psを実現し、国産最強を誇示した。わずか10年でパワーとトルクは2倍にも達したのである。エンジンの進化がめまぐるしかったのが、黄金の80年代だ。

1986年に登場し、ネットで230psを発揮した7M-GTEU型など【写真8枚】

ネットとグロスとは?  

 80年代半ばまで使われていたグロス表示は、必要な部品だけを装着した軸出力だ。これに対しネット表示は、ラジエーターやエアクリーナーなど抵抗の多い部品を付けて測定。ガソリンエンジンの場合、15%ほど低い数値になる。例えばAE86の4A-GEU型はグロスで130psだが、ネットでは120psに減ってしまった。





1986年 ネット200psオーバーが誕生

 1986年に登場したZ20ソアラとA70スープラに搭載された7M-GTEU型は、ネットで230psを発揮。当時としては圧倒的なスペックを誇り、しかも後期では240psまでパワーアップを果たした。このときは7M-GTEU型の天下がしばらく続くかと思われたが……。




1988年 ファミリーカーも200psが当たり前に

 パワーウオーズが絶頂期を迎えた80年代後半には、マークⅡ3兄弟やルーチェなど、一般的なセダンも200psオーバーが当たり前になった。なかでも、社会現象にもなった初代シーマは、3LV6ツインカムターボで255psを発揮。テールをグッと沈めて加速する姿は印象的だった。





1989年 終着点の280psについに到達

 初のターボ搭載車セドリック/グロリアも200psを突破。また、R32GT-RやZ32フェアレディZが280psに到達。ただし、このパワーウオーズも、ここで終焉を迎える。それが、280psの自主規制だ。これにより国産車の最高出力は制限され、以後2004年まで続くことになる。




初出:ハチマルヒーロー vol.20 2013年02月号(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)


1986年に登場し、ネットで230psを発揮した7M-GTEU型など【写真8枚】

排ガス規制を経て加速度的に飛躍、パワーウオーズの系譜 (全2記事)

オーバー200馬力の衝撃 記事一覧

Text :HIDEAKI KATAOKA/片岡英明

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