ターボエンジンで先陣を切ったのは「技術の日産」|排ガス規制を経て加速度的に飛躍、パワーウオーズの系譜 Vol.1

1970年に定められたアメリカのマスキー法を初めてクリアしたのが、ホンダの初代シビックに搭載された「CVCC」エンジン。

       
【排ガス規制を経て加速度的に飛躍、パワーウオーズの系譜  Vol.1】

基準をクリアするのは不可能とまで言われたアメリカの排ガス規制マスキー法
それが発端となり日本でも排ガス規制が強化され、高性能車は牙を抜かれた
しかし、その反動から80年代に入ると一気にパワー競争に突入していったのだった

排ガス規制を経て加速度的に飛躍、パワーウオーズの系譜 (全2記事)

1970年に定められたアメリカのマスキー法を初めてクリアした、初代ホンダ・シビックに搭載された「CVCC」エンジンなど【写真10枚】


 高度経済成長を背景に、日本の自動車産業は右肩上がりの急成長を遂げた。だが、1970年代になると試練の時期を迎える。アメリカのマスキー法に端を発し、排ガス規制が強化されたのだ。日本でも光化学スモッグが大きな社会問題となり、クルマはその元凶とされた。また、1973年の秋にはオイルショックが世界中を襲い、ガソリン価格はアッという間に高騰する。環境問題と資源問題に加え、安全性もクローズアップされるようになった。

 2度のオイルショックは、高性能を売り物にしていたスポーツカーとスポーティーカーをスターの座から引きずり下ろしている。燃費の悪かったロータリーエンジン搭載車は壊滅的な打撃を受け、高性能を誇示したスカイラインやセリカもドライバビリティーが悪いなど、牙を抜かれた。生産中止に追い込まれたクルマも少なくない。


 だが、必要は発明の母である。排ガス対策にめどが立ち、技術的なノウハウが蓄積できてきた70年代後半になると、徐々に輝きを取り戻すようになった。燃焼の改善や進歩した排ガス浄化技術、電子制御燃料噴射装置などのデバイスによってエンジンのクリーン化を図るとともに、燃費性能も大きく向上。

 また、新しい技術も積極的に導入された。そのひとつが、航空機やレースの世界で脚光を浴びていたターボチャージャーやスーパーチャージャーなどの過給機だ。吸入空気を圧縮して密度を上げ、限られた排気量のなかでパワーとトルクを増大させている。

 ターボエンジンで先陣を切ったのは日産だった。1979年秋の第23回東京モーターショーに、ターボを装着したセドリックとグロリア(430の4ドアHT)を参考出品している。エンジンは1998ccのL20型直列6気筒SOHCだ。これにギャレット製のターボユニットを組み合わせ、145ps/56 00rpm、21.0kg‐m/3200rpmを発生した。

 日産がターボ戦略の口火を切ると、他の自動車メーカーも追随する。最初はお役所の顔色をうかがってフォーマルユースの高級セダンにターボの組み合わせだったが、すぐにスポーティーカーにもターボを搭載。先陣を切ったのはノックセンサーを加えてドライバビリティーを向上させたスカイライン2000GTターボだ。

 同じ時期、小型車枠を超えた3ナンバー車にもニューウエーブが巻き起こっている。80年秋に開催された大阪国際オートショーで鮮烈なデビューを飾ったのが「トヨタEX‐8」だ。この流麗な高級スポーツクーペは、1981年2月にソアラの名で市販に移された。フラッグシップエンジンは2.8Lの5M‐GEU型直列6気筒DOHCだ。乗用車用エンジンとして最強の170ps/24.0kg‐mを発生する。

 1983年秋、3代目のZ31フェアレディZがモデルチェンジを断行した。頂点に立つ300ZXの3LV型6気筒SOHCターボは230ps/34.0kg‐mを絞り出す。


 1984年2月、6代目のR30型スカイラインの頂点に立つ通称「ターボC」は、インタークーラーで武装してグロス表示ながら初めてリッター当たり100psの壁を破った。そのスペックは205ps/25.0kg‐mにまで高まり、最高速度も未公認ではあるが実速200km/hの大台を超えている。

 その直後に三菱のギャランΣ(シグマ)とスタリオンも2Lの直列4気筒SOHCエンジンを3バルブ化したシリウスダッシュエンジンを搭載し、200psカーの仲間入りを果たした。

1972年 ホンダがCVCCでマスキー法をクリア

 1970年に定められ、世界一厳しい規制とまで言われたアメリカのマスキー法。その基準値を初めてクリアしたのが、ホンダの初代シビックに搭載された「CVCC」エンジン。その後、1975年に日産が「NAPS」を発表するなど、各メーカーから新技術がリリースされた。



1979年 日産がターボエンジンを投入、パワーウオーズ勃発

 430セドリック/グロリアに、国産車初のターボエンジンL20E-T型を搭載。145psの最高出力は、2.8LのL28E型と同等のスペック。この後、S130フェアレディZなどに搭載され、日産はターボ車の勢力を拡大。これが引き金となり、馬力競争の時代に突入していく。



1983年 国産初の200psを突破

 1983年に登場したZ31フェアレディZでは、ついに3LV6にもターボをドッキング。その結果、国産車初の200psを突破し、230psという圧倒的なスペックをもたらした。なお、この230psというパワーは、86年にソアラがデビューするまで、国内最強を誇った。



1984年 モータースポーツ技術が昇華

 80年代は日本のモータースポーツが盛んな時期で、各メーカーがワークス参戦。そこで生まれた技術が市販車にも投入されている。DR30に搭載されたインタークーラーターボや、日本初の可変バルブ機構を備えるシリウスダッシュ3×2など、各メーカーとも新技術でしのぎを削った。



Vol.2に続く

初出:ハチマルヒーロー vol.20 2013年02月号(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

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Text :HIDEAKI KATAOKA/片岡英明

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