【父の日、黙って用意したプレゼント 4】そんな3代目サニーが世界で見たもの|1978年式 ダットサン B210 ハッチバック GX Vol.4

ニッポン旧車の北米モデルの外観は、大型のバンパーが特徴だ。70年代はアメリカが排ガス規制や衝突安全対策に力を入れていたため、日本国内仕様とは見た目の印象がずいぶん異なった。

       
シリーズ:父の日、黙って用意したプレゼント

【1978年式 ダットサン B210 ハッチバック GX Vol.4】

Vol.【3】から続く

燃費の良さもサニーの魅力

 66年にプリンスと合併した日産は、ダットサンのブランド名の下、67年発売の510、69年の240Zの両車が続けて大ヒット、北米市場におけるその地位を確実なものにした。そして70年には2代目サニー(B110)がアメリカの地を踏んでいる。B210と呼ばれた3代目サニーが彼の地へ送り込まれたのは、73年のことだった。

 日産はこのころ世界へ輸出を始めていて、仕向け地ごとに違う車名を使っていた。3代目サニーもご多分に漏れず、複数の名前を与えられて世界各地でヒット商品となり、どこの国でも「サニー」と言えばB210が今でもよく知られている。イギリスでは「120Y」と呼ばれ、価格の割に豪華装備と信頼性を併せ持ち、人気を獲得した。その背景にはいわゆる「イギリス病」と言われた、英国全体の労働者ストライキによる自国新車の供給不足があり、それがB210と時代的に重なったのだ。

 また、オーストラリアやニュージーランドでは74年の導入後、高い関税を避けるためにすぐに現地生産が始められた(ニュージーランドの旧車事情に関してはVOL.151に掲載)。同じく英語圏の南アフリカでも現地生産が行われ、80年までの長い間続いた。L型エンジンを搭載した高性能グレードは排気量にちなんで、「140Z」や「160Z」の呼称も使われた。またアジアでは、インドネシアで団体タクシーに採用され、活躍が目覚ましかった。

青いヘッドカバーのA型エンジンが目立った汚れもないまま収まっていたエンジンルームなど【写真14枚】




 そんな3代目サニーが世界で見たものは、そう、オイルショックであった。ガソリン高騰の中で低燃費車を求めた消費者の目には、B210のもたらした40mpg(マイル・パー・ガロン、約17km/L)という群を抜いた高速道路燃費の良さは魅力的に映った。5MTを搭載した78年式に至っては50mpg(21km/L)という数字を記録した。

 オイルショックに敏感だった国とそうでなかった国でのB210の仕様の違いは、当時存在した2つのスペシャルモデルがそれをよく表している。ニュージーランドでは先代サニーに引き続き、デロルトのキャブを組み込んだパフォーマンスグレード「SSS」が現地生産された。半面、アメリカでは「ハニービー」(直訳すると「ミツバチ」)というグレードが設定された。これは下位グレードだったDXからさらに内外装(カーペット、灰皿、スイッチ類、ホイールカバーなど)を省略して5kg軽量化し、4MTにもかかわらず高速道路燃費41mpgを達成したモデルだった。

 日本でもアメリカでもガソリン価格の高騰が気にかかる昨今のこと。オイルショック当時のB210のような旧車も、最新型のハイブリッド車の燃費の良さに負けず劣らずだったのである。


初出:ノスタルジックヒーロー 2014年2月号 Vol.161(記事中の内容は掲載当時のものを主とし、一部加筆したものです)

1978年式 ダットサン B210 ハッチバック GX記事一覧(全4記事)

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text & photo : HISASHI MASUI/増井久志

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