今だから語れる80日本カー・オブザ・イヤー 第5回COTY受賞車 トヨタ MR2

       
MR2はトヨタが満を持して発表したミッドシップカーだ。コンパクトなボディに1.6L 4A-GELU型4気筒レーザーαツインカム4バルブエンジン(Sグレードは1.5L 3A-LU型)をGとG Limitedに搭載。MR2は第5回カー・オブ・ザ・イヤーを受賞した日本初のミッドシップカーになった。

 トヨタを保守的な自動車メーカーだと思っている人は、意外に多い。だが、実際には進取の気性に富み、チャレンジ精神も旺盛な自動車メーカーなのである。新しい技術や今までにないジャンルにもいち早く目を向け、市販化を決断するタイミングも早い。世界で初めて、ハイブリッドカーの量産化に踏み切ったのはトヨタだ。時代に先駆けてプリウスを発売に移し、21世紀の扉を開いた。

 排ガス対策が一段落した80年代、トヨタはDOHC4バルブ方式の新世代ツインカムエンジンを開発し、次々に市場に送り込んでいる。直列6気筒は1G‐GEU型DOHC、直列4気筒は4G‐GEU型と3S‐GEU型と、矢継ぎ早に放った。1.6Lの4A‐GEU型DOHCは83年5月にモデルチェンジしたカローラとスプリンターが初採用だ。正確には、FF化を見送った兄弟車、AE86レビンとトレノに積まれてデビューを飾っている。

このレビンとトレノが新エンジンを手に入れたのは、ドアミラーとエアロパーツが解禁になった時期と重なる。デザイン面ではポップアップ式のリトラクタブルヘッドランプがはやった。新規登録車の初回車検も3年に延びている。こういった時代の節目に、トヨタが送り出したのが、高性能エンジンをドライバーの背後に置いた、ミッドシップのスポーツモデルだ。

 AE86レビン/トレノが登場した半年後に開催された第25回東京モーターショーに、トヨタはしゃれた2人乗りのコンセプトカーを出品している。リトラクタブルヘッドランプに脱着可能なTバールーフ、そして時代の先端を行くデジタルメーターを採用し、ツートーンのボディカラーを身にまとった「トヨタSV‐3」だ。「SV」はスポーティービークルの略である。

 社内で開発コード730Bをつけたスポーツクーペを発展させた2シーターのスポーツカーで、量産につながるプロトタイプは「SA‐X」と呼ばれていた。モーターショーに参考出品されたトヨタSV‐3は、内外装デザインの完成度が高く、リアスポイラーやメーターなど、細部を手直ししただけで量産へと移されている。

 正式発表は、翌84年6月だ。車名は「MR2」と決定した。アルファベットの「MR」は「ミッドシップ・レーシング」を思わせる。が、トヨタ側からの回答は「ミッドシップ・ランナバウト」だった。数字の「2」は2シーター、2人乗りの意味である。型式は、AW10とAW11だ。

 もちろん、ミッドシップ方式の市販車は日本で初めてだった。70年代、いくつかのメーカーがミッドシップカーを試作している。が、それらはショーカーに終わり、市販には至っていない。日本初のクルマだったため、マニア好みのスポーツ性よりも親しみやすさを狙った。それはネーミングの由来からもうかがい知ることができる。

 ウエッジシェイプの2ドアボディ、これも手堅いデザインだ。スポーツモデルの常套であるリトラクタブルヘッドランプを採用しているが、ノーズ先端はそれほど低くない。また、ルーフからCピラーへと続くラインやトランクリッドもオーソドックスなデザイン処理とした。ファストバックではなく、ノッチバックのクーペスタイルで、リアエンドもカットオフテールだから伸びやかさは今一歩にとどまる。

 ボディはコンパクトサイズだ。全長は4mを切る3925mm、全幅も小型車枠に収まる1665mm、全高も1250mmと、この手のスポーツモデルとしては低いほうではない。ホイールベースは2320mmである。1600Gリミテッド5速MT車の車両重量は、1tを切る950kgだった。

 インテリアはミッドシップのスポーツカーらしい、スパルタンムードのデザインだ。ドライバーの前には水平基調、左右対称の機能的なインパネが広がっている。バイザー付きのメータークラスターには大型のアナログメーターが並べられ、その両側にヘッドライトやワイパーなどの操作スイッチを並べた。ミッドシップカーであることを意識させられるのは、センターコンソールだ。かなり高さがある。

 シートはホールド性のよいバケットタイプで、ランバーサポートなど、調整機構も多い。また、当時のレビン/トレノと同じように鮮やかなツートーンカラーの表皮を採用して個性を主張した。ヒップポイントは、この手のスポーツカーとしてはちょっと高めだ。これは乗降性や快適性など、扱いやすさと居心地のよさを重視したためである。いかにもトヨタらしい。



 吉田明夫開発主査の下でMR2の開発に携わり、後継の2代目MR2の開発主査を務めた有馬和俊は、06年11月に開催されたトヨタモータースポーツフェスティバルのトークショーで、「このクルマの開発がスタートしたころは、排ガスと燃費対策、安全性の向上に奔走したこともあり、運転して楽しくない、面白くないクルマばかりでした。そこでリーズナブルな価格で走りを楽しめるクルマができないか、と検討し、MR2の開発プロジェクトが動き始めたのです。ミッドシップの2シーターですが、コミューターをコンセプトに開発を進めました。

 デザイン部門からは、せっかくのミッドシップカーなのにおとなしいデザインでは納得できない、と反発されたし、背も低くしたい、との声も出されています。でも、幅広いユーザーに乗っていただきたいので、とにかくおとなしいクルマにしてほしい、営業部門から要望が出されたのです。この意見を尊重し、運転しやすくし、デザインもおとなしくしました」

 と、開発の狙いを語っている。

 このMR2以前のトヨタ車は、多数のドライバーが乗って味付け、クルマの性格を決めていた。が、このMR2ではテストドライバーの成瀬弘がクルマの良しあしを指摘し、味付けを決めている。今につながるトヨタのマスタードライバー制度を最初に取り入れたのが、AW10/11MR2だ。

 メカニズムの多くは、FF方式を採用したAE80系のカローラ/スプリンターから譲り受けた。シャシーは専用設計で、アンダーボディにはリーンフォースメントを多用し、剛性アップを図るとともに騒音と振動を抑え込んでいる。クルマの重心近くに重量配分を理想的にできるのがミッドシップ方式の魅力だ。エンジン、トランスアクスル、乗員、燃料タンクなどの重量物を重心位置の近くに配置し、前後重量配分45対55を実現した。

 操舵に対する追従性は群を抜いてよく、ハンドリングも軽快そのものである。サスペンションは、フロントがストラット/コイル、リアにはデュアルリンクストラットを配した。

 主役のパワーユニットは、4A‐GELU型(Lは横置きを意味する)直列4気筒レーザーαツインカム4バルブだ。これをドライバーの後ろに搭載した。総排気量は1587ccで、燃料供給は電子制御燃料噴射装置EFI‐Dを採用した。トランスミッションは5速MTと電子制御4速ATを設定する。また、ムード派の1.5L 4気筒SOHCエンジン搭載車も用意されていた。86年にマイナーチェンジを行い、このときにパワフルなスーパーチャージャー装着車やTバールーフ仕様が加えられている。

 第5回日本カー・オブ・ザ・イヤーの10ベストカーは強豪ぞろいだった。トールボーイデザインのシティを筆頭に、FF方式に転換したEP71スターレットやギャラン/エテルナΣ、ハイソカーブームをけん引したマークII/チェイサー/クレスタ、世界最小のディーゼルを積むコンパクトな2BOXカーの2代目シャレード、日産の座間工場で生産を開始したドイツ生まれのサンタナなどが名を連ねたのである。

 そのなかでトヨタMR2はライバルを圧倒し、日本カー・オブ・ザ・イヤーの栄誉を手に入れた。日本で初めてのミッドシップ方式のスポーツカーであることが決め手となったが、受賞理由はそれだけではない。最適な重量配分による冴えたフットワークと軽快なハンドリングなど、運動性能の高さも高く評価された。

 また、カローラ/スプリンター系のメカニズムを使うことにより、リーズナブルな価格でユーザーに提供できたことも大きな意義があったと当時の選考委員は述べている。COTY受賞車のなかで、唯一の2シーターモデル、それが初代トヨタMR2だ。

(文中敬称略)


87年式トヨタMR21600G-Limited
スーパーチャージャーTバールーフ(E-AW11型)
全長×全幅×全高(mm) 3850×1665×1250
ホイールベース(mm) 2320
トレッド前/後(mm) 1440/1440
最低地上高(mm) 140
車両重量(kg) 1120
乗車定員 2名
エンジン型式 4A-GZE型 
エンジン種類 水冷直列4気筒DOHC SC
総排気量(cc) 1587
ボア×ストローク(mm) 81×77.0
最高出力(ps/rpm) 145/6400
最大トルク(kg-m/rpm) 19.0/4400
ステアリング形式 ラック&ピニオン式
サスペンション前/後 ストラット式/ストラット式
ブレーキ前/後 ベンチレーテッドディスク/ディスク
発売当時価格(東京) 225.0万円


掲載:ハチマルヒーロー 2011年 05月号 vol.15(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Hideaki Kataoka / 片岡秀明

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