アンダーソン少年は「小さくてしゃれていた」そのクルマを一目で欲しくなった|アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方|ずっと忘れられなかった小さなクーペとの再会|ホンダ・クーペ Vol.1

サンフランシスコにある大手ソーシャルゲーム会社に勤めるアンダーソンさん。野球の好きな息子のラッキー君が「このクルマはちょっとうるさすぎる」と言うと、アンダーソンさんは思わずひと言、「オイ頼むぜ、オレの息子だろ!?」。

       
【ずっと忘れられなかった小さなクーペとの再会|ホンダ・クーペ Vol.1】

 発達したフリーウェイ網を存分に使って、広い国土を走り抜けるところ。1960年代から70年代にかけての日本のクルマメーカーには、北米市場はそんなふうに映っていたに違いない。当時、早々に日本からこの広大な市場に乗り込んだダットサンは、日本国内モデルよりも大きめの排気量のエンジンを搭載して、成功を収め始めていた。

 そのころ、野心に燃えていたホンダは歯がゆい思いをしていたことだろう。まだ軽自動車サイズのクルマしか持たなかったホンダは、新市場開拓の時代の波に乗り遅れないためにも、手持ちの駒で勝負するしかなかった。先をいくダットサンが大きく見えたはずだ。

思いがけないクーペとの再会

 しかしそのホンダの「小ささ」は、「大きなクルマの国」で確かに人の目に留まっていた。カリフォルニア州アルバニー市に住むピート・アンダーソンさんは、ティーンエイジャーだったころに目を奪われたこの小さなクルマの姿を、自分の心に焼き付けて憧れ続けてきた。

 アメリカ中西部イリノイ州で生まれ育ったアンダーソンさんは、16歳になって運転免許を取るとすぐに、初めて乗るのにふさわしいクルマを探し始めた。そのとき目を引いたのが、たまたま町内で売りに出ていた緑色のホンダ・クーペ。「小さくてしゃれていた」というそのクルマを、アンダーソン少年は一目で欲しくなってしまった。

 冬の路面に凍結防止の塩をたっぷりとまくこの土地で、「すぐ錆びる」という風評に甘んじていた日本車ゆえに、アンダーソンさんの父親は700ドルというお金を出してくれなかった。「それより安かったから」という理由で、我慢しつつも英国車MG‐Bが初の愛車となった。それでも、この「海の向こうの日本から来た小さくてしゃれたクルマ」の印象は、クルマに興味をもち始めたティーンにはあまりにも強烈で、あの緑のホンダを目にした時以来ずっと心の片隅に残り続けた。

 それからの年月は特に日本車だけに傾倒するということもなく、ダットサンZやセリカに加えて米国車や欧州車も乗り継いだ。その間ホンダ・クーペの姿を忘れることはなかったのにもかかわらず、あの小さな姿を再び見かけることは、ただの一度もなかったという。

 そんなアンダーソンさんに、転機は突然訪れた。
「それは去年のことでした」

 今の自宅近所を歩いていて、ガレージを整理していた家に行き当たった。
「引っ越しか、それともガレージセールかなと思いながら、ものが運び出されるのを見ていたんです」

 しかし、どうやらそういう訳でもないらしい。そこでわざわざガレージの中までのぞき込んでみて、仰天した。何とそこにホンダ・クーペが止めてあったのだ。16歳のあのとき以来実に31年ぶり、まさかという思いの中、昔見た姿の記憶が「スポーティーだった」という言葉の印象とともに、この瞬間にアンダーソンさんの心の中に、みるみるうちに鮮やかに甦った。

Vol.2、Vol.3へ続く

掲載:ノスタルジックヒーロー 2013年8月号 Vol.158(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

冷却効率を高められるように最前列中央に置かれ、エキゾーストパイプが前方向に出る空冷2気筒エンジン【写真5枚】

ずっと忘れられなかった小さなクーペとの再会記事一覧(全3記事)

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text & photo:Masui Hisashi/増井久志

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