JSS車両のルーツはグループA車両なのか!?|日産 スカイライン JSS スペック DR30 Vol.4

1980年代前半、シルエットフォーミュラが終了する際、その名残を惜しむファンや関係者の声は意外なほど大きかった。

       
【日産 スカイライン JSS スペック DR30 Vol.4】

1980年代後半のJSSは、その参戦車両の多くがFC3S RX‐7で、低コストで高出力が得やすいロータリーエンジンの特徴が生かされていた。その一方でスカイラインは、ベース車両を手に入れるにしてもS12シルビアやFC3S RX‐7より割高になる傾向があり、JSS史上では少数派の車両となっていた。

 こうした点で気になっていたのは、市販車のリリース時期とレースカーの就役時期に時間的なズレが生じていたことだった。スカイラインシリーズは、JSSレースの2年目にあたる1985年に、30系から31系へのモデルチェンジが行われ、都平がチャンピオンを獲った1988年、89年は、31系が終盤期にさしかかろうかという時だったのだ。

 新車が手に入らない時期に、取材したJSSスカイラインが作られた背景には、グループA車両からの転用ではなかったか、という推測が成り立つのである。というのは、現存するDR30のグループA車両がなく、その多くは(と言っても絶対数は少なかった)廃棄されたか転用されたかのいずれで、転用される場合はJSSしか考えられなかったからだ。

 メーカーが直接参入したグループAレースは、改造幅が制限されていたこともあり、ベースボディを徹底的に作り込むことが常識となっていた。いわゆる高剛性ボディだが、市販車から仕上げていくと手間とコストがばかにならなかった。もちろん精度の問題も含めて、グループA車両をベースにできれば、効率よく質の高いJSS車両を作ることができというわけだ。

 いまこうして振り返るDR30のJSS仕様車だが、エアロパーツの装着によってバランスのよいボリューム感が得られていることに驚きを覚えてしまった。当時としては、オーバーデコレーション気味だったのだろうが、いま見ると市販車のデザインとして違和感がない。むしろ、オリジナルが貧相に感じられるほどで、このルックスならDR30を所有してみたい、と思わせてくれた。

 簡易版スーパーシルエットとして1984年に始まったJSSレースは、 紆余曲折を経ながら1993年まで続けられ、94年に始まるJGTC(全日本GTカー選手権)に現GT300クラスの原型として組み込まれ、そのDNAは今日まで引き継がれている。


フロントブリスターフェンダーの張り出し量も適量。ボディラインになじみ後付け感がない。全体のバランスがよいことは上の外観写真が示しているとおり。


一体成形のリアブリスターフェンダーとウイング支持ステーを後方まで伸ばしたリアウイング。ブリスターの張り出し量は大げさでなく、それでいてダイナミックに見えるうまいデザインだった。DR30を所有するなら装着してみたいと思わせるボディキットだ。


径の太いエキゾーストマニホールド、そして大きなタービンハウジングが高出力型であることをうかがわせる。


トランク床下の位置に安全燃料タンクを設置。ここにパネルの溶接痕があり元の車両が大型燃料タンクを装着してことをうかがわせる。やはりグループA車両からの転用ではなかったのかと思わせる根拠のひとつだ。




初出:ハチマルヒーロー Vol.17 2012年 1月号(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

フロント、リアのブリスターフェンダーなど【写真5枚】

日産 スカイライン JSS スペック DR30記事一覧(全4記事)

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text:Akihiko Ouchi/大内明彦 photo : takashi Ogasawara/小笠原貴士 

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