1988年は5戦4勝、89年は5戦5勝! JSSの主役を務めたスカイライン!|日産 スカイライン JSS スペック DR30 Vol.3

当時としては相当に目立つデザインだったはずだが、いまの目で見ると適度なボリューム感となり、むしろノーマルボディが貧相に感じられてしまうほどだ。DR30が持つダイナミックで精悍な印象がうまく表現されている。

       
【日産 スカイライン JSS スペック DR30 Vol.3】

チューナー単位での参戦が見込めたJSSレースは、エントラントの数を増やせる点でも魅力があった。それこそエアロパーツのメーカーとチューナー、あるいはレーシングガレージが手を結べば、コストのリスクを最小限に抑えながら、宣伝効果も兼ねたレース活動が行えるメリットを持っていた。

 さて、1984年に始まったJSS、当初はS12シルビアが主勢力でこれにSA22C RX‐7が絡む形で10数台のマシンが参戦していたが、年を追うごとに台数は増え、1980年代終盤には常に25台を超え、ときに30台近くとなることも珍しくなかった。

 そしてここで取り上げるJSSスカイラインRSターボだが、現存するJSS車両が皆無という状況で、コンディションのよいスカイラインRSターボと出合うことができた。カラーリングは、定番とも言える赤/黒2トーンなのだが、実はこのカラーリングのJSS車両はなく、復元時にあえて塗り替えたものだという。

 では元色は? という話になるが、日産プリンス千葉カラーの22号車で1991年の都平健二車となる。ツーリングカーの使い手として知られる都平は、シリーズが始まる84年からJSSに参戦。最初の2年はS12シルビアを使っていたが、1986年からDR30スカイラインに乗り換え、この車両で1988年と89年のJSSチャンピオンに輝いている。ちなみにこの当時のカラーはスポンサーのコアレスカラーで、1991年の日産プリンス千葉仕様とまた違うカラーリングである。

 この1988年と89年の戦績はすさまじく、1988年は5戦4勝、89年は5戦5勝のパーフェクトを記録する圧勝ぶりだった。ちなみに1勝を逃した88年は、トラブルによるリタイアで、レース中に競り負けたものではなかった。


赤/黒2トーンで塗られた取材車両の現役当時のカラーリングがこれだ。カーナンバー22は都平健二がJSSやTSで使い続けた番号で、ニスモのセカンドゼッケンでもあった。


日産プリンス千葉カラーは1991年時のもので、都平自身は86年からDR30を使い続けている。都平は88年と89年のJSSタイトルを獲得。


ノーズの浮き上がりを抑える形状のフロントバンパースポイラー。フロア下に入る空気流を制限しエンジンルーム内に取り入れる冷却気の流れをコントロールしている。やはり大げさに見えないところに好感が持てる。大人のデザインと言えるだろうか。


ボディ左サイド下に設けられたエキゾーストの出口。フロア下面にパイプが露出することを避けるためフロアを叩いてエキゾーストトンネルが作られている。サイドエキゾースト車全般に見られる処理方法だ。



初出:ハチマルヒーロー Vol.17 2012年 1月号(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

取材車両の現役当時のカラーリングのショットなど【写真5枚】

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text:Akihiko Ouchi/大内明彦 photo : takashi Ogasawara/小笠原貴士 

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