バイク扱いでガス検査を通す!? マイナーすぎて陸運局のデータベースにもなかった!|アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方|ジムニーを愛するアメリカ人オーナー|71年式 スズキ・LJ10ジムニー Vol.3

「山の中のオフロードに走りにいったこともありますよ」というマケンドリックさんは、たまにしか走らせないこのクルマを運転することを、とても楽しんでいる様子だった。目いっぱいアクセルを踏んでも時速43マイルしか出ず、アメリカの一般道に多い時速45マイルの制限速度にすら達しなかった。

       
ジムニーは1970年代から並行輸入車として、アメリカで販売されていたジムニー。当時アメリカでスズキは非常にマイナーメーカーだったが、そんなスズキのジムニーに魅せられた1人のクルマ好きが、紆余曲折を経てようやく手に入れた一台が今回取材したマケンドリックさんの車両だ。

しかし手に入れてからは苦労があったという。
排ガス規制の厳しいアメリカでは、市販のオートバイですら4サイクルエンジンだけ、2サイクルエンジンのクルマなど、自分の住むアリゾナ州で新規登録するにはどうすればよいのか分からなかったという。

 その上、あまりに古くて珍しいこのクルマは州陸運局のデータベースにもなかった。それを登録するために、マケンドリックさんは陸運局事務所まで出かけていって、自らこのクルマの詳細を説明した。排ガス検査の際にも、基準とすべき該当車種がないので、スズキのオートバイとして検査を通したという。

 その半面、都合が良かったのは、アリゾナ州では25年以上経ったクルマは、ヒストリックカー登録を申請できることだった。そうすれば排ガス検査も免除されるので、これからはもう登録更新の際に苦労する心配はなさそうだ。

 どんな苦労でも自慢話にしてしまう「珍しい物好き」のマケンドリックさんは、4台分のガレージのあるとても大きな家に住んでいる。というのも実は、マケンドリック家はまれに見る大家族なのだ。奥さんのクリスさんとの間に授かった子供7人に加えて、これまで25年にわたって養子や里子の受け入れを続けている。そんな大家族の子どもの送り迎え、毎日の足には15人乗りの大きな乗用バンを使わざるを得ない。

 マケンドリックさんが幼い日に「いつかは乗りたい」と、心に誓ったZに乗ることができたのは、初めてZに出合った日から18年も経った1988年のことだった。そして、そのころ半導体技術者として働いていたマケンドリックさんは、それから間もない1990年から2年間、仕事で家族とともに韓国に駐在する機会を得た。せっかくだからと日本に家族旅行へ出かけると、そこで目にした愛車のZが「フェアレディZ」というバッジを付けていたことに驚いたという。

 自分の愛車が本国では違う名前で呼ばれていた。それがどうしても気になって仕方がない。帰国してすぐに「フェアレディZ」を探し始めたのだが、これがなかなか見つからない。「これは珍しいクルマだぞ」と思うと、マケンドリックさんはますますのめり込んだ。ほどなくして1台見つけたのだが、それはあまりに改造され過ぎていて、とても買う気にはなれなかったという。

 時は過ぎ、一昨年ようやくアメリカ国内でS130フェアレディZを見つけることができた。駐在米兵が母国に持ち帰り、その後22年間放置されていた車両。購入が決まると、クリスさんと2人で1800マイルも離れたインディアナ州まで取りに出かけた。

 耳障りな音を出す速度警報装置はあらかじめ取り除いて、帰り道のフリーウェイでは少々ローギアードなことが気になったくらいで、念願のフェアレディとの実に快適なドライブだったそうだ。

「人が持っていないものが好き」

 こんなクルマを持っているんだと自慢する快感。

「フェアレディもLJ10も、人が振り返ってくれるのを見るのが楽しいね」

 毎日乗り回さないからこそ味わえる楽しみ。そう語るマケンドリックさんの日常は、家族と慌ただしく過ごす日の連続で、なかなか趣味でクルマを運転する時間もない。たまに時間の取れる週末には、愛車でカーショーに出かけたりするのが目下の楽しみなのだ。

 持っていればこそ、いつかまた昔の思い出をクルマとともに体験することができる。子供たちとクルマを楽しめる日のことを夢見ながら、マケンドリックさんの子育てはまだまだ続く。


アメリカでは「ブルートⅣ」という車名で販売された1971年式スズキ・LJ10ジムニー。71年から72年にかけて数百台が輸出されたようだ。マケンドリックさんの所有する個体は、アルベールグリーンと呼ばれた塗装や、タイヤまでもが状態のよいオリジナルであることが自慢だ。


テールランプが突き出しているのはアメリカの安全基準に適合するため。それにぶつからないようにテールゲートを水平位置で止めるための鎖は、輸入の際に取り付けられたものらしい。リアゲートの右下位置には「BRUTE IV」と書かれたステッカーがあった。ナンバープレートからは、このクルマがヒストリックカー登録されていることはわからない。


布地のドアは、こんなふうにボディに取り付けられるが、実際に使ったことはないとのこと。幌を付けても付けなくても、気温が45℃を超すようなアリゾナの夏の暑い日には、とても乗れないのだそうだ。


4台が収まる自宅のガレージは、入口を2つ作って2台ずつ入れるように設計した。その入口の大きさも既製の規格より30cmずつ広く高くして、大きなクルマでも余裕をもって出し入れをできるようにしたそうだ。


家族が食事に集合。2階まで吹き抜けのダイニングキッチンとリビングルームには、小さな子供たちが一緒に遊ぶ声が響いていた。

ノスタルジックヒーロー 2013年2月号 Vol.156(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text & photo:Masui Hisashi/増井久志

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