国産初はどの車種? 旧車でよく聞くHT=ハードトップとは何なのか?|モータージャーナリストが解説する粋なハードトップの時代 

コロナ・ハードトップのボディにDOHCエンジンを積んだトヨタ1600GT

       
馬車の時代から、オープンカーには脱着式の屋根が用意されていた。キャンバス地やビニール素材など、柔らかい素材の幌はソフトトップと呼ばれている。簡単に脱着できるのが魅力だが、耐候性に難があり、高速走行では幌がバタついた。また、横転したときなどの安全性も、屋根つきのセダンや2ドアクーペより劣っている。

 そこで考えられたのが、ハードトップ(HARD TOP)と呼ぶ硬い屋根だ。プラスチック樹脂(FRP)や軽金属などを素材とした、頑丈なルーフをオープンカーに被せたのである。ハードトップを被せると空力性能はよくなるし、剛性も増す。また、快適性や耐久性、安全性も向上した。

 この手法を2ドアクーペに採用し、センターピラーを取り払ったのが、アメリカ流のハードトップである。量産車に初採用し、はやらせたのはアメリカのゼネラルモーターズ(GM)だ。第二次世界大戦が終了して間もなくの1949年、キャデラックに独創的なシルエットの2ドアハードトップを設定した。ドアガラスは窓枠のないサッシュレス・ウインドーだ。ピラーレス構造に加え、サッシュレスドアだからサイドビューはスッキリとして、見栄えがいい。

 1950年代、アメリカのビッグ3は競って2ドアハードトップを送り出し、大ヒットさせた。その数年後には4ドアセダンからセンターピラーレスの4ドアハードトップが誕生し、これも人気者となっている。

 日本で先陣を切ったのは、流行に敏感で、北米のデザイン事情にも通じていたトヨタだ。記念すべき我が国初の2ドアハードトップは、アローラインを採用した3代目のRT40コロナをベースに開発された。発売されたのは1965年7月である。リアクオーターピラーを寝かせてクーペデザインにするとともにセンターピラーを取り去った。サイドガラスは、はめ殺しではない。昇降でき、リアクオーターガラスは扇形に動いて開け閉めができる。

 トヨタはハードトップを浸透させるために、シングルキャブ仕様も設定した。だが、高性能イメージを植えつける必要もあると判断し、1967年夏にコロナ・ハードトップのボディにDOHCエンジンを積んだトヨタ1600GTを送り出している。

 このイメージ戦略は大成功を収め、1968年9月にはハードトップ第2弾を放った。設定したのは、コロナの上級に位置するアッパーミドルクラスのコロナ・マークⅡだ。こちらもDOHCエンジン搭載のマークⅡ1900GSSは、ハードトップだけの設定とした。また、第3弾としてクラウンにも2ドアハードトップを追加する。ハイソカーの元祖となるプレステージ・スペシャルティーカーの誕生だ。

 同じ時期、マツダもFF方式の高級パーソナルクーペのルーチェ・ロータリークーペを発売に移した。ショーモデルの「RX87」は三角窓を備えていたが、量産モデルは日本で初めて三角窓も取り払ったピラーレス、フルオープンウインドーの2ドアハードトップだ。ただし、トヨタのようにハードトップとは名乗っていない。

 1970年になると、三菱と日産も2ドアのスタイリッシュなハードトップを意欲的に投入する。三菱は春にギャラン・ハードトップを、秋にはスペシャルティーカーのギャランGTOを送り出した。この後継のΛ(ラムダ)も粋なハードトップだ。日産もトレンドに乗ろうとローレルとスカイラインに2ドアハードトップを加えている。

 ハードトップの本家を自認するトヨタも黙ってはいない。ギャランGTOの発売と同じ時期に、セリカと兄弟車のカリーナ・ハードトップを発売している。当然、イメージリーダーとしてDOHCエンジンを積む1600GTもラインナップした。

 1971年8月、ダイハツは軽自動車のフェローMAXに躍動感あふれるデザインの2ドアハードトップを設定する。1972年11月にはホンダZもハードトップボディに生まれ変わった。

 4ドアハードトップが登場するのは1972年夏だ。230セドリックと兄弟車のグロリアは、モデルチェンジを機に2ドアハードトップを設定。それだけでは飽きたらず、乗降性に優れた4ドアハードトップも送り出している。

 だが、1970年代半ば、アメリカではピラーレス構造のハードトップとオープンカーは側面衝突や横転事故に弱いと糾弾された。安全基準のハードルが引き上げられたため、海外では衰退の一途をたどっている。この情報を敏感に嗅ぎ取ったのがトヨタだ。1974年秋に送り出した5代目クラウンのとき、頑丈なセンターピラーを備えた4ドアピラードハードトップを投入した。

 センターピラーは残しているが、ドアまわりは窓枠のないサッシュレス構造だ。安全に対し真摯な取り組みを見せるマツダも、ルーチェに4ドアのピラードハードトップを設定した。安全性は高い。だが、見た目のカッコよさはピラーレスハードトップに及ばなかった。そのため日本では平成の時代になるまで、ピラーレスの4ドアハードトップが主役の座に居続けている。危うい機能美で日本のクルマ好きを魅了したのが、ハードトップデザインだ。



「ニュー・アローライン」と名付けられたデザイン・コンセプトを持つ、3代目RT40系コロナ、1967年6月のマイナーチェンジ版。写真は1.5Lエンジンを搭載したRT50コロナ・ハードトップで、3速コラム、4速フロア、2速ATの3種類の変速機から選択できた。


2ドアハードトップのセドリック。


特徴的なデザインを持ったΛ。


美しいハードトップのローレルC130。

ノスタルジックヒーロー 2013年2月号 Vol.156(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text : Hideki Kataoka / 片岡英明

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