愛妻の元へ毎週往復1000kmの道のりを1年間。メキシコ日産の工場から産まれたダットサン|アメリカ発! ニッポン旧車の楽しみ方|47年間共にしたメキシコ製ダットサン Vol.1

ゴールデンゲートブリッジを走る510ブルーバード。メキシコで生まれた40年以上前の日本車が、今こうしてアメリカの地を走っていることを思うと、とても感慨深い。

       
【アメリカ発!ニッポン旧車の楽しみ方|47年間共にしたメキシコ製ダットサン Vol.1】

日本車の性能の高さを世界中に知らしめた510ブルーバードは、耐久性でも群を抜いていた。そのため現存数も比較的多く、アメリカでも希有というほどのクラシックカーではない。それでも、第三国仕様の個体となると話は別だ。

 今回、出合うことのできたダットサン1600は、アメリカとは地続きの隣国、メキシコから持ち込まれたもの。それはマニアがわざわざ取り寄せたというような代物ではなく、メキシコでの新車当時からのオーナーファミリーが、アメリカに移住してからも乗り続けているというヒストリーだった。

 サンフランシスコ湾から東へ奥まった地域は、カリフォルニアデルタと呼ばれる海抜の低い土地である。その一端に位置するピッツバーグ市(カリフォルニア州コントラコスタ郡)は、日本の山口県下関市と姉妹都市関係を持つ、炭鉱によって栄えた町だ。現在この地に住むラリオスさん一家は、今回紹介するダットサン1600を酷使しながらも、40年にわたって大切に維持し続けてきた。

  1973年に思いがけずこのクルマのオーナーになったマリオさんから、娘のマリクルースさんへ。その間にはメキシコからの移住、そして家族の死など、大変な経験を家族で乗り越えてきた。アメリカでは全くといっていいほど見かけることもなく、ファンの間でもなかなか話題にのぼることもないこの「廉価版のブルーバード」には、実はオーナー家族のさまざまな記憶と思いが詰まっていたのだ。

 510ブルーバードは、1960年代の世界水準に達する性能とデザインを伴って、世界に飛び出した日本車である。なかでも、日本国内と北米向けの仕様には最新の技術が投入された。それはSOHCを用いたL型エンジンであり、後輪の独立サスペンションだった。

 その先端技術とは対照的に、クルマ先進国以外の世界市場には、実績ある機構を盛り込んだ仕様が投入された。510で言えば、OHVのJ型エンジンに、ワゴンと同じ板ばね式リジッドサスペンションということになる。もしも壊れたら、どこでも手に入る部品で誰にでも修理ができる。自動車発展途上国では、そんなクルマが求められていたはずだ。また、高速道路網が整備されていない土地では自家用車は街乗りに使うものであり、遠出は鉄道やバスでするものだった。従って高価格で高性能なクルマなど、そもそも一般消費者にとって必要なかったのだ。

 メキシコで生まれ育った若き日のマリオ・ラリオスさんは、石油関係の仕事に就いていた。離れて暮らす両親に、毎月の給料から仕送りをする生活。そんなある日、実家へ帰ってみると、なぜか新車が止まっていた。両親はどちらも運転免許を持っていなかった。

「送ってくれたお金で、お前のために買ったんだよ」「だってあれは、家を買うための足しに、って言ったのに」

 それがマリオさんとダットサンとの出合いだった。1973年当時のメキシコではダットサンの知名度はまだ高くなかったのだが、母親のアリシアさんが見た目を気に入り、選んだのだった。

 1976年にロサルバさんと結婚したマリオさんは2人の地元だったグアダラハラ市(1970年時点で150万人都市。メキシコ屈指の歴史と文化の町で、京都市と姉妹提携している)に新居を構えた。新たに得た政府厚生省の仕事は、首都メキシコシティでの単身赴任。そんな新婚生活を支えるのに、このダットサンが大活躍した。毎週往復1000kmの道のりを1年間通い続けても、ダットサンは壊れそうな気配すら見せなかった。そして2人は次第にこのクルマを信頼するようになったのだ。

47年間共にしたメキシコ製ダットサン Vol.2に続く


型式プレートには銀色の塗料が吹きかかっていて、「メキシコ製」という文字がわずかに読み取れる程度。その脇にはフレキシブルライトが備わる。黒く塗られていたが、ダットサン240Zにつくものと同じようだった。


青いヘッドカバーが付く日産J型エンジン。個体オリジナルのエンジンだ。ヘッドカバーには大きく「DATSUN」の文字が入る。キャブはニッキ製。鋳鉄製インマニには日立のマークが入っていた。


板ばね式のリアサスペンション。スペアタイヤは床下に備わる。堅牢な構造をじっくりと眺めていると、過酷な使用に耐え抜いた40年間の実績に頭の下がる思いがした。


シートベルトは2点式で前席のみに備わる。後部座席の背もたれの中央には、「ビューティークイーン」と呼んでいた亡くなった姉エリザベスさんの思い出を刺繍にして刻み込んだ。そのデザインはメキシコ在住の友人、クラウディア・ルビオさんによるもの。


中央部に膨らみのある特徴的なグリルは、1970年頃の日本国内向けブルーバードと同じデザインだと思われる。アメリカ国内では見かけないパーツでファンの間では垂涎もの、欲しがる人も少なくない。


姉のエリザベスさんが好きだったゴールデンゲートブリッジを走る。メキシコで生まれた40年以上前の日本車が、今こうしてアメリカの地を走っていることを思うと、とても感慨深い。華奢に見えたその車体は、大きなクルマに囲まれてむしろよく目立っていた。

掲載:ノスタルジックヒーロー 2013年2月号 Vol.155(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text & photo:Hisashi Masui/増井久志

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