〈1〉R30からR34まで携わったデザイナー西泉秀俊の人生|5世代のスカイラインをデザインした男 Vol.1

       

 今なお人気の高いR30スカイライン。

 R30スカイラインのマイナーチェンジでグリルレスになった鉄仮面。
誰がデザインしたのかという疑問を、西泉秀俊に突撃インタビューした。

「R30はそれまでと違って当初からロングノーズだけでした。プロジェクトが一段落した頃、開発が進んでいた日産にとって久しぶりの高性能エンジン、4気筒DOHCのFJ20型のためのショートノーズスカイラインのデザインスタディを始めました。それまでと逆にショートをよりスポーティーにするのが狙いです。それを渡辺雅広君と私が1案ずつクレイモデルを作りました。

それが私のエクステリアでの初めてのモデルでした。ところが、ロングノーズでバランスを取っているデザインを短くするのはとても厳しく、スポーティーなショートノーズのスカイラインは幻となりました。実はそのときのショートノーズでグリルレスをデザインしていました。それがマイナーチェンジのRSにつながります。

 さらにこの時期、荻窪のランプ設計が市光工業と超薄型のヘッドランプを開発し、それをデザインに織り込もうとしたのがR 30ショートノーズのグリルレスデザインです」



この鉄仮面のスケッチは櫻井眞一郎から頼まれて営業部に見せるために、粂田があとから描いたもので、粂田は「鉄仮面は西泉君がデザインした」と話している。



 04年1月に筆者が粂田起男にインタビューした時、「84年2月に追加されたスカイライン2000ターボRSにはインパクトが必要だった。だからグリルレスに変えた。実際にこのフロントのスケッチを描いたのは若手の西泉君です」と答えている。

さて、そんな西泉の人生は1955年6月19日、静岡県浜松市に生まれた。
旧天竜市(現天竜区)の熊幼稚園、熊小学校、熊中学校を卒業(卒園)。「熊」の名前の由来は3つある。1つ目は昔、熊がいたという説。2つ目は遠江(とおとうみと読み、遠州とも呼ばれる)の隅(すみ)にあったため、隅(くま)から熊になったという説。3つ目は三重県の熊野信仰があったという説がある。いずれにせよ「熊小学校の卒業生です」と言うだけで、西泉はその後よく笑われた。

 車に興味を持ったのは中学生の頃。510ブルーバードやC10スカイラインは好きだった。浜松工業高校工業デザイン科に入学。子供の頃から絵好きだった。


 浜松工業高校を卒業後、地元のスズキやヤマハに入らず、日産へ入社。最初に配属されたのは東京・荻窪にあった第3造形課。

 最初の仕事は2代目のC130ローレルのインテリア。西泉はドアトリムのスケッチをしたことを覚えている。次長はC10スカイラインをデザインした森典彦だ。

「レースを特に好きになったのは映画『栄光のル・マン』を見てからですね。あれは高校時代、日本公開が1971年7月でした。とにかくスティーブ・マックイーンが操るガルフカラー(水色にオレンジの矢印)のポルシェ917Kとフェラーリ512の大接戦は迫力がありました。この頃のフェラーリ512はあまりかっこよく思わなかった。それより前のフェラーリ330P3/4は最高でした。
 1972年にはスカイラインGT‐Rを操る高橋国光さん、北野元さん、黒沢元治さん、長谷見昌弘さんをサーキットで見ていました。サバンナの影がスカイラインGT‐Rの後ろに忍び寄っていました。
 1973年に運転免許を取りました。父親の2代目パブリカ(KP30)を借りて、富士スピードウェイへGCレースを見に行きました。GT‐Rのライバルのサバンナはあまり気持ちのいいデザインではなかったですね。サーキットではカタチも色も音も悪役という感じがしました」

 そして若かった西泉は行動的だった。入社してまもなく、走行会を企画して十数人で筑波サーキットを走った。

 その頃、本業のデザインの仕事は初代パルサーのインストルメントパネル。基本的にクレイモデルはモデラーがやるが、第3造形課ではデザイナーも積極的にクレイを削った。

 当時、造形課では2人のトップデザイナーがしのぎを削っていた。松井孝晏と粂田起男だ。松井はケンメリ・スカイラインとジャパン・スカイライン(C210)を担当。粂田はR30スカイラインを担当している。西泉は粂田の下でR30スカイラインのマイナーチェンジにたずさわる。

「R30スカイラインのFJ20型のカムカバーには裏話があります。最初、デザイン案はシャンパンゴールドにしていました。でも営業からは黒にしてほしいという要望が出ていた。(編集部注・松宮修一のインタビューでは櫻井眞一郎の要望という話だった)そこで松宮修一の別案の赤になったのではないでしょうか」

そして次はR31を担当するが、苦難が待ち受けていた。



R30スカイラインの鉄仮面は今なお人気が高い。担当デザイナーの西泉秀俊に話を聞くことができた。西泉は80年代から90年代のR30〜R34スカイラインの5世代に関係している。



西泉は日産社内でイタリア研究会に所属していた。左端が西泉。


R31スカイライン2ドアスポーツクーペGTS-R。エンジンはRB20DET-R型。最高出力210ps。

掲載:ハチマルヒーロー 2011年 05月号 vol.15(記事中の内容はすべて掲載当時のものです



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text:Nostalgic Hero/編集部 photo:Satoshi Kamimura/神村 聖

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