「20世紀の巨匠」は日本車も多数デザインしていた|セルジオ・ピニンファリーナの生涯と華麗なるデザイン Vol.2

イタリアデザイン界の巨匠であり、20世紀のスポーツカー・デザインの旗手として知られるセルジオ・ピニンファリーナ氏が、イタリア北部の町、トリノの自宅で85歳で亡くなってから8年がたった。

 父が亡くなった61年以降はピニンファリーナの顔となり、名作を次から次へと生み出していったが、その情熱は21世紀になっても色あせなかった。
 エンツォや612スカリエッティも、彼の指揮の下、生産に移された。現在のフェラーリの名声を築いたのは、セルジオ・ピニンファリーナだった、と言っても言い過ぎではないのだ。

 また、アルファロメオにも傑作車がたくさんある。父と一緒にデザインを練り上げた、通称「デュエット」と呼ばれるアルファロメオ1600スパイダーを筆頭に、アルファGTV/スパイダー、アルファ164などのデザインを手掛けた。もちろん、親会社のフィアットのクルマも好んでデザインしている。父の代から深い付き合いがあるマセラティやランチアのスポーツモデルのデザインも少なくない。

 セルジオ・ピニンファリーナは、イタリア以外の自動車メーカーからもデザインを依頼されていた。もっとも仲がよかったのはプジョーだ。プジョー504、406クーペ、306カブリオレなど、彼の作品は枚挙にいとまがない。GMのクロノスやキャデラック・アランテも手掛けている。

 日本の自動車メーカーとも親密な付き合いを見せた。最初に食指を伸ばしたのは日産だ。60年代にピニンファリーナの門を叩いている。2代目の410ブルーバードと130セドリックは、表向き名前を出していないが、ピニンファリーナの作品だ。当時は尻下がりのデザインが嫌われた。だが、今の視点で見てみると、まとまりのいいデザインである。

 ホンダもピニンファリーナと仲がいい。最初に依頼したのは、初代シティのカブリオレ。この開発を通して蜜月の関係となり、その後はアドバイザーとしてデザインを見てもらった。84年に発表したホンダHP‐Xは、後に登場するNSXに大きな影響を与えている。また、ピニンファリーナがデザインしたミトスの流れを汲むのが軽自動車のビートだ。ボディサイズや性格はかなり違うが、デザインの共通点は多い。

 三菱もパジェロiOのヨーロッパ向けモデルのモディファイと生産をピニンファリーナに依頼、これは99年のことだ。そして2005年には電動格納式ルーフを採用した、フルオープンのコルトCZCを送り出している。多くのデザイナーとエンジニアに影響を与え、自動車の発展に大きな役割を果たしたのがセルジオ・ピニンファリーナだ。20世紀が生んだカーデザイン界の巨匠のご冥福を祈りたい。


父のバチスタとともに関わったと言われるのが410系のブルーバード(65年)と130系のセドリック(65年)だ。


ホンダも80年代初頭に初代シティをベースにしたカブリオレを依頼する。三菱の欧州向けプロジェクトにも関わった。


ランチアとは戦前から深い付き合いがあり、戦後もアプリリアクーペなどを手掛けた。ベータモンテカルロはボディ製造まで行っている。


プジョー社内デザイン部のスタイル・プジョーとピニンファリーナの合作。デザイナーはピニンファリーナのレオナルド・フィオラヴァンティ。


セルジオ好みの直線的で力強いシルエットを特徴とする。基本デザインはピニンファリーナ社でらつ腕をふるったエンリコ・フミア。

掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年10月号 Vol.153(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text :Nostalgic Hero/編集部

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