カーデザインの歴史そのもの! 20世紀のスポーツカー・デザインの旗手|セルジオ・ピニンファリーナの生涯と華麗なるデザイン Vol.1

1926年9月、イタリアのトリノに生まれた。大学卒業後、父とともにカロッツェリア・ピニンファリーナのデザイン、経営に携わり、イタリア最大のカロッツェリアに成長させた。写真は、97年1月28日、東京都内。三菱との提携発表の記者会見での写真。

2012年7月3日。
衝撃的なニュースが世界を駆け巡った。

 イタリアデザイン界の巨匠、と言うより20世紀のスポーツカー・デザインの旗手として知られるセルジオ・ピニンファリーナ氏が、イタリア北部の町、トリノの自宅で亡くなったのである。
 享年85歳で、妻と子どもたちに見守られての大往生を迎えてから8年。

 彼がどんな人生を歩ゆみ、どのようなクルマをデザインをしたか振り返ってみよう。

 クルマ好きにとって「ピニンファリーナ」は、カーデザインの歴史そのものだ。カロッツェリア・ピニンファリーナが創業したのは、日本では昭和初期の1930年である。自動車の町とも言えるトリノで、カーデザインスタジオを興した。創始者は後にピニンファリーナ姓に改名して大成功を収めるジョバンニ・バティスタ・ファリーナだ。

 カロッツェリア・ピニンファリーナを設立する4年前の26年9月、セルジオ・ピニンファリーナは誕生している。24歳でトリノ工科大学を卒業した彼は父の経営するカロッツェリアに入り、敏腕を発揮した。そして60年にゼネラルマネージャーに昇格すると、精力的にフェラーリやアルファロメオ、フィアットなどのスポーツカーのデザインを手掛けるようになる。


 父が亡くなった61年以降はピニンファリーナの顔となり、名作を次から次へと生み出していった。イタリアにはベルトーネ、ミケロッティ、ザガート、ジウジアーロなど、センスのいいデザイナーやカロッツェリアが多いが、そのなかで別格だったのがピニンファリーナだ。サーキットで大暴れしたフェラーリ250GTOの後継として登場した250GTベルリネッタLMは今も走る芸術品の誉が高い。

 66年にCEOに就任してからも積極的に事業を拡大した。デザインだけにとどまらず、エンジニアリングや生産まで行うのがピニンファリーナの凄いところである。とくにカブリオレなどのオープンカーや少量生産のスペシャルモデルは得意な分野だ。また、オフィス用品や家電、時計などのデザインとプロダクトも手掛けた。

 天才肌のデザイナーであり、経営手腕も冴えていたが、なかでも傑作が多いのはスポーツカーだ。その代表はフェラーリである。CEOになってからは精緻なV型12気筒エンジンをフロントに積み、人々から「デイトナ」の名で愛されたフェラーリ365GTB/4を筆頭に、ミッドシップのフェラーリ512BB、テスタロッサ、フェラーリ348GTB、後継のF355などを生み出した。また、ディーノ206GT/246GTも送り出してきた。


エンツォ・フェラーリの早世した息子ディーノの名前をブランドにした特別なクルマもセルジオがデザインしたもの。また、世界に1台だけのピニンファリーナ製ディーノである、ディーノ206コンペティツィオーネも存在する。





ピニンファリーナとの関係が深いのがフェラーリ。特にセルジオの時代に入ってから250をはじめ、308GTB、F40、ケン奥山のデザインで日本でも知られたエンツォ・フェラーリなど数々の傑作を生み、フェラーリの経営安定に寄与したと言える。

掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年10月号 Vol.153(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text :Nostalgic Hero/編集部

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