ココにもNISMO! 戦後日産モータースポーツの原点は、1958年の「モービルガストライアル」|サファリで開花した「ラリーの日産」 Vol.1

サファリラリー4連覇を達成したPA10バイオレット、グループBでの難しい戦いに挑んだ240RS、71年サファリラリーで総合優勝を果たしたフェアレディZ。

       
日産自動車のモータースポーツ史の原点となるのはサーキットレースでなく、実は市販車の耐久性、信頼性が問われるラリーに端を発していた。戦後の混乱から社を立て直し、自動車メーカーとしての質と認知度を引き上げていこうとする過程で、国際ラリーへの参戦を手段として選んだのである。戦前からモータースポーツとの関わりを持ってきた日産にとって、ある意味必然の選択肢でもあり、結果的に大きな効果を発揮した。

 そのラリーというのは1958年の「モービルガストライアル」(オーストラリア)、210ダットサン富士号と桜号の活躍、と言ったほうが分かりやすいかもしれない。

 まずはその足どりを整理したいと思うのだが、戦後日本のモータリゼーションは、物流の担い手となる商用車の需要が引っ張ってきた。国を挙げて復興に取り組む中で、これは当然の動きである。しかし、復興にめどが立つと今度は乗用車に需要が集まってくる。55年(昭和30年)に通産省(現・経産省)が打ち出した国民車構想は、まさにこうしたモータリゼーションの流れを裏打ちするもので、自動車メーカーの生産体制も、次第に乗用車へとシフトしていくことになる。

 といっても、当時の日本に曲がりなりにも乗用車と呼べる自動車の開発能力があったわけでもなく、新たに独自開発をするか、海外メーカーのノウハウを導入するかのいずれかだった。

 ちなみに前者がトヨタ(クラウン)、後者がノックダウン方式採用の日産(オースチン)、いすゞ(ヒルマン)、日野(ルノー)だった。いずれが正攻法かは論議の分かれるところだが、結果的に最も効率よく効果的な乗用車作りを行ったのが日産だった。日産はオースチンのノックダウン生産により、乗用車市場に対応するとともに、乗用車の設計・生産技術を習得して自社技術の土台としたのである。

 こうした経緯で誕生したモデルが110/210ダットサンだったが、驚くべきは、内製化に取り組んだモデルであったにもかかわらず、社としてすでに海外市場を視野に入れていたことである。今後自動車メーカーとして発展を遂げるためには、国内市場だけに捕らわれていては不十分と考え、海外市場で売るために信頼性に優れた製品作りが不可欠と判断したのである。

 過酷な使用でも壊れず、長期間にわたり常に安定した性能を発揮できるクルマを開発するにはどうしたらよいか? その回答が国際ラリーへの参加だったのである。ホンダ流に例えれば「走る実験開発室」となる。

 初の本格国際ラリーとなるモービルガストライアルで、富士号がクラス優勝(桜号はクラス4位)を果たしたことは、モデル開発に向けての大きなはずみとなった。ちなみにこの時のドライバーが、後に特殊車両課の責任者としてサファリに参戦し、ニスモ初代社長として念願のル・マンに参戦を果たす難波靖治で、本人の性格がそうさせたのか、時代の巡り合わせがそうさせたのかは分からないが、いつの時代も挑戦者の立場でモータースポーツと向かい合ってきた人物である。

 その日産が、継続的に国際ラリーへの参戦を始めるのが63年。これがサファリラリーで、310ブルーバード、30セドリックを擁しての参戦だった。



撮影車両は71年サファリラリーで総合優勝を果たしたエドガー・ハーマン/ハンス・シュラー組のDatsun 240Z。240Zは翌年1月のモンテカルロラリーで名手アルトーネンが3位に食い込み、ラリーカーとしての信頼性とスピードに優れていることを証明した。


撮影車両は1981年のサファリ優勝車で日産はサファリを4連覇した車両。
70年代後半のラリーカートレンドと言ってよいのだろうか。フィアット131アバルトラリーに代表される四角いセダン型ボディのフォルムには、角形アーチのオーバーフェンダーがよく似合っていた。


撮影車両は実際競技で使われた車両ではなく残存したモデルからの復元車。グループB規定の公認取得に必要な最低生産台数は200台。240RSはこれをわずかに上回る台数だったと言われ、表向きには左ハンドル仕様150台、右ハンドル仕様50台と公表されている。

掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年12月号 Vol.154(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text : Akihiko Ouchi/大内明彦 photo : Masami Sato/佐藤正巳

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