瀟洒なカブリオレのシュコダが「鉄のカーテン」の向こう側からやってきた時代 1

1961 SKODA Felicia

かつては東欧最大の自動車メーカーだった老舗


 タトラが1998年をもって乗用車生産から撤退した今、VWグループの庇護のもとに、チェコ唯一の量産車メーカーとなったシュコダ。その歴史は、実は非常に長いものである。

リアカット

 現行「シュコダ」ブランドで自動車生産を始めたのが、チェコスロバキア共和国時代の26年。さらに前身の「ラウリン&クレメント」社まで入れるならば、オーストリア・ハンガリー帝国時代の1895年までさかのぼることのできる老舗メーカー。

 そして、第二次世界大戦が勃発する以前は、自社設計モデルに加えて、ロールス・ロイスに並ぶ超高級車として知られる「イスパノ・スイザH6」のライセンス生産も行うなど、東欧最大の自動車メーカーとして知られていたという。

フロントグリル

フロントフェンダー

 第二次大戦後は、共産主義国家となったチェコスロバキア政府のもとで国有化。まずは1948年に戦後初の新型車である「1101」を発表したのち、6年後の54年にはより近代化を図った「440」および排気量を拡大した上級バージョンの「445」、スポーティーなカブリオレ版「450」などを順次デビューさせていく。

リアフェンダー

エンブレム

 そして、さらに5年後の59年。旧東側「COMECON(経済相互援助会議)」加盟国随一の工業国であったチェコスロバキアでは、西側諸国への輸出も期したモデルとして、440/445の内外装を少しだけ洗練させたマイナーチェンジ版「オクタビア」を登場させることになるのだ。

 440/445およびオクタビアは、50年代のヨーロッパ車としては決して時代遅れなモデルなどではなく、独自の鋼管バックボーン式フレームに、リアがスイングアクスルの4輪独立懸架を組み合わせていた。  パワーユニットは、440時代に搭載された直列4気筒OHV 1089ccを踏襲。少々デコラティブながら、近代的なフラッシュサイドのデザインを与えられた2ドアサルーンのほか、ワゴン版「コンビ」や、1221ccにエンジンを拡大した高性能版「TS」も用意されていたと記録されている。

 そして北米をはじめとする輸出マーケットへの進出も目指したスタイリッシュなカブリオレ版も「450」からフェイスリフトを施され、特に「Felicia(フェリツィア)」と命名。64年まで生産されたと言われているが、いかんせん「鉄のカーテン」の向こう側のクルマゆえ、生産台数などの詳細は不明なのだ。

ホイール

ノスタルジックヒーロー 2017年4月号 Vol.180(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Hiromi Takeda/武田公実 photo:Daijiro Kori/郡 大二郎

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