「スペシャル」を車名に冠した特別な高級感を漂わせるセドリック|63年式 日産 セドリック・スペシャル Vol.2

フロントフェンダーアーチからサイドシル、リアフェンダーアーチまで通るステンレスモールが、セドリック・スペシャル専用の仕様。フロントドア前端のチリから前、フェンダーパネルが延ばされているのがフォルムの特徴となっている。

       
この初代セドリックが順調に販売を伸ばしていた頃、日産はさらに高いグレードのクルマをセドリックをベースに開発していた。62年10月に東京・晴海で開催された第9回全日本自動車ショーで展示され、63年2月に発売されたセドリック・スペシャルだった。

 アメリカ車に独占されていた大型高級乗用車市場に食い込むべく、運転手付きのショーファードリブンをセドリックの派生車として用意したわけで、その中身にはさまざまな工夫が凝らされていた。エンジンはH型4気筒のボア×ストロークをそのままに6気筒化、排気量2825ccとして新たにK型エンジンを開発。ボディはキャビンを流用しながら、6気筒エンジンを載せるためにバルクヘッドから先のフロントセクションを延長。ホイールベースは140mm長い2835mmとなっていた。このほか外装、内装を高級車にふさわしい仕様として、車名同様「スペシャル」なクルマに仕立てられた。

そして当時の雑誌広告では「わが国初の大型車発売」とうたわれていた。

運転手付きで乗る企業のトップたちにぜひ導入してもらいたいと、日産が熱きメッセージを送っていたのである。
そして日本の高度成長時代に合わせて、国内の自動車メーカー各社も国際レベルの乗用車を造ろうと、士気が上がっていた頃。
「わが国初の6気筒エンジン」「広く豪華な西欧風サロン」「3段フルシンクロ採用」など、時代の最先端の機構や装備を詰め込んだのだ。
当時のメーカー各社は米国車や欧州車を参考にしながら、高級感を追究していたに違いない。

ちなみに発表時、セドリック・スペシャルは最高時速を150km/hと公表していた。
東名高速ができる5年も前の話で、それを試す場所もなかったはずだが、その気概こそ、日産の礎となっているといえよう。



1963年9月のマイナーチェンジで、メーターパネルが変更された。





トランクマット、スペアタイヤカバーは型どりをしてからスペシャルのためにワンオフで製作。室内のマット、カーペットもすべて新規に製作。


外観も含めてオーバーホールされた、2.8L、K型水冷直列6気筒OHVエンジン。セル1発、驚くほどスムーズにアイドリングするコンディションに思わず感嘆。


マイナーチェンジごとに車名を示すSPECIALの大きさや位置が違い、3種類のフロントフェイスがある。セドリック・スペシャルのみの区分で言えば、取材車両は中期の仕様となる。


フェンダーに付く車名エンブレム。この当時の国産車の多くに、異なった書体の車名が複数付くが、セドリック・スペシャルも例外ではない。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年10月号 Vol.153(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text:Nostalgic Hero/編集部 photo:Kazuhisa Masuda/益田和久

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