ル・マン24時間を走り切ってゼッケン順に1、2、3フィニッシュ!|ポルシェ956&962CがグループCを席巻した時代 

       
元来、ル・マン24時間レース(以下ル・マン)を頂点とするスポーツカーレースは、戦前から市販モデルのみが出場できるレースレギュレーションだった。

ところが、第2次大戦後の混乱期には自動車メーカーによる市販車の開発もままならず、1949年に行われた第17回ル・マン24時間レースでは、プロトタイプ(市販モデルを前提に開発するが、市販には至っていない車両)の参加も認めることになった(参加台数49台)。しかし、ジョルジュ・デュランの構想していた市販車の信頼性、耐久性、安全性の向上という本来の目的から外れ、その後のル・マンに大きな波紋を投げかけることになったのだ。

 一方、ポルシェとル・マンの関係は、1951年(第19回)から始まり、戦後、初のドイツ車として参戦。ごく初期の2分割Vスクリーン、三角窓を持つポルシェ356アル・クーペのル・マン仕様3台をエントリー。フランス人ドライバーのA・ヴィエとE・ムッシュがドライブしたポルシェ356は、初出場ながら総合20位、1.1L以下のクラス優勝を成し遂げたのだ。以来、ポルシェは毎年参戦することを今日まで50年以上にわたって継続しており、西部自動車クラブ/ACO(Automobile-Club de l’ Ouest)が主催するル・マンとの関係は、より密接なものとなっている。

 スポーツカーレースは1976年にCSIが変則的に「ワールド・チャンピオンシップ・フォー・メイクス」と「ワールド・チャンピオンシップ・フォー・スポーツカーズ」という2つのチャンピョンシップで行われることになった。

 メイクスの方は、シルエット・フォーミュラ(グループ5)と呼称された市販モデルの外観イメージを残しながら、大幅なモディファイを施した車両でチャンピオンシップを行ったが、結果的にポルシェ935の独壇場となり、他メーカーの参戦は激減した。一方、スポーツカーのチャンピオンシップは、旧グループ6のマシンで争われ、こちらの方はポルシェ936が活躍。

 ル・マンのレギュレーションも出場できるマシンのカテゴリーを大幅に広げ、それまでのGTや3Lスポーツカーに加え、シルエット・フォーミュラより改造範囲を広げたGTX、GTPなどのほか、アメリカのIMSA(米国自動車レース総括団体)シリーズのマシンまで出場範囲を拡大。こうした効果は歴然で、燃費規制を排除したこともあり、ターボエンジン搭載車の増加も歴然。車種バラエティに富んだ出場車が顔をそろえた。

 1970年代の後半、79年の第2次石油危機が勃発したことで、24時間レースに対する風当たりは再び厳しくなり、燃料を大食いするターボ・マシン隆盛の時代ではなおさらのこと。1980年には燃費重視を始め、給油の際の流量制限を厳しく設定し、燃費の芳しくないマシンは、大きなタイムロスを招くことになる。エンジン交換は、公式練習から決勝レース終了まで禁止。ワークス・チームなどが行っていた予選用と決勝用エンジンの使い分けや、丸ごと載せ換えができなくなった。

 その救済策としてFISA(国際自動車連盟)は、1982年シーズンから新車両規定を導入し、グループN、A、B、C、D、Eという新カテゴリーを執行することになった。そこでポルシェは、いち早くグループCのレギュレーションに適合するプロトタイプ・スポーツカーとして、ポルシェ956(以下956)を登場させたのである。しかも、ポルシェはワークスのみならず、カスタマーにも販売することを当初から考慮していた。

 グループCの特徴は、なんといっても燃費性能を重視した点にある。エンジンの排気量、過給の制約はなく、あくまでも燃費制限を課した。車載する燃料タンク容量は100L以下とし、レース距離と時間に対応して、燃料使用量と補給回数が定められた。

 956のエンジンは、1981年のル・マンで優勝した936/81で、耐久レース仕様にモディファイした2.649L仕様(935/76)。総排気量は2650cc、空冷シリンダー水平対向6気筒DOHC・4バルブ、水冷式シリンダーヘッドを採用。2基の圧縮比7.2:1。KKK26型ターボチャージャーを備え、過給圧1.2bar時に最高出力620ps/8000rpm、最大トルクは64kg‐m/5400rpmを発生する。

 パワーは乾燥単板式の焼結合金製ライニングの単板クラッチを介してフル・シンクロ5速のトランスミッションへ導き、ディファレンシャルを持たないファイナルドライブへ伝達。

 インタークーラーは、エア/エア、エア/水のミックス・タイプ。当初、エンジンのマネージメントシステムはクーゲルフィッシャーの機械式インジェクションを装着。82年秋に本来採用するはずであったボッシュのモトロニックMP1.2が完成し、エンジンの総合制御を行う935/82型とになった。

 シャシーは、それまでのポルシェ・レーシングカーが採用し続けてきた、アルミチューブラーフレームを廃し、まったく新しいアルミハニカム・モノコックフレームを採用。100L安全燃料タンクは、ドライバーシートとエンジンルームの間のスペースに装着されている。

 サスペンションは、フロント、リアともインボード・タイプのダブルウイッシュボーン。スタビライザーは、前後ともアジャスタブルだが、ドライバーがコクピットで操作することはできない。コイルスプリングはチタンで、ビルシュタイン製アルミ・ショックアブソーバーを備える。

 ブレーキは前後ともベンチレーテッド・ディスク。4ピストン・キャリパーはポルシェが新設計したものを使う。

 ボディは、オーソドックスなオールFRP製だが、部分的にカーボンファイバーで強化されており、1983年型からは、ケブラーで大部分をモールドして17kgの軽量化を施している。構造自体は一般的な設計で、フロント・ウインドスクリーンとコクピットの間にロールケージを配している。

 ポルシェ・ワークスのスポンサーカラーは、1982年ル・マンの記念すべき50回目にデビューするために、新スポンサー契約を結んだロスマンズのカラーリングをまとった。美しいデザインのボディにロスマンズカラーは決まり過ぎ! といえるほど印象的かつ魅力的なデザインで登場した。

 さらに、ドライバーもJ・イクス/D・べル、J・マス/V・シュパン、H・ヘイウッド/A・ホルバート/J・バルトなどそうそうたるメンバーをそろえ、1982年ル・マンには、車番どおりに1、2、3フィニッシュを決めるという快挙を成し遂げた。

 我が国でも翌1983年にはトラスト・チーム/早川正満社長が実績のあるノバ・エンジニアリングの猪瀬良一氏に依頼して真っ先に入手。1983年用にポルシェがカスタマー用に15台製作したうちの1台だ。ドライバーは、藤田直廣/V・シュパン組で、1983年の全日本耐久選手権シリーズと全日本富士LDシリーズに出場し、圧倒的な速さと安定した力量を見せて、パーフェクトな戦いぶりでチャンピオンを獲得した。

 翌1984年には、国産Cカー勢の開発も進み、ポールポジションをゲットすることもあったが、千葉泰常率いるアドバン・アルファ/チームタイサンは、1984年仕様の956を投入。高橋国光/高橋健二組が、ノバ・エンジニアリングのメンテナンスで富士LD第1戦を優勝で飾り、幸先の良いスタートを切った。全日本耐久選手権の第2戦の「富士1000km」で6位、第3戦の「鈴鹿1000km」で優勝。アドバン・アルファカラーの956の快進撃が始まった。

 一方、ポルシェ・ワークスとプライベート956は1983年シーズンのすべてのレースを制し、ル・マンでは、11台出場したうちの8台が1〜8位を独占。抜群の耐久性を示したのだ。

 84年のチャンピオンシップでも956は、圧倒的な優位性を示し、キャラミでの1戦をランチアに奪われたものの、他の10戦をすべて圧勝するという戦績を残した。

 翌1984年にFISAが徐々に燃費規制を強化していく方針を打ち出し、1983年シーズン終了後に、1984年は燃費規制を15%強化することに決定した。当然のことながらワークスを始めとして、有力なチームは、エンジン制御システムのリニューアルを手掛けたのだ。しかし、FISAは1984年3月に規制強化を棚上げして、さらに1986年からは燃費規制を廃止すると発表。こうした変遷はIMSAとの関係から生じたことは明白で、怒ったポルシェはル・マンへのワークス参戦を中止した。1980年以来のワークス・ポルシェ不在のル・マンとなってしまった。

 1984年に加わった962は、アメリカIMSAシリーズのGTPクラス参戦用に開発されたマシンである。同シリーズでは、安全性を重視するため、ペダルはフロント車軸より後部に位置することが義務付けられており、ホイールベースを120mm延長することで対処している。また、ターボも1基しか装着できないと定めるなど、他のレースとは異なる条件があり、こうした要望に応えるためにポルシェは962と呼称するモデルを新たに開発したのだ。エンジンは、水平対向6気筒に変わりはないが、ヘッドは空冷SOHCの2バルブに変更。排気量は2.8〜3.2Lに拡大され、これにターボチャージャーを1基装着。さらにこのシーズンからはボッシュ製電子制御システムがプライベートチームにも供給されるようになった。

 1985年にはチャンピオンシップでもペダル位置に関する規定が、IMSAと同様に改定され、ワークス・ポルシェは962のグループC仕様として「962C」を投入。片やプライベート956は、1986年末まで出場が認められることになった。


83年のル・マン耐久に参加した956。



83年のル・マンを制した956。


1986年ル・マンに参加する962C。


87年 ル・マンを走る962C。


掲載:ノスタルジックヒーロー2010年11月号増刊 ハチマルヒーロー vol.14の記事を元に再編集したものです。

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text: Hazime Iida/飯田一 photo:Nostalgic Hero/編集部

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