「モータースポーツをやっていて一番面白かった時期でしたね」R32時代の幕開け。根っからのクルマ好きが日産へ|80年代自動車業界を支えた偉人たち 日置和夫 Vol.1

1969年に日産自動車へ入社し、その後90年には出向という形でNISMOの技術担当部長、95年には英国にあるニッサン・モータースポーツ・ヨーロッパの社長を務めた日置氏。

       
1990年3月17日、GT-Rの名を復活させたR32スカイラインGT‐Rのレースデビューの場となった西日本サーキット(後のMINEサーキット)には、ファンに加えて多くのレース関係者が顔を見せていた。GT‐R復活の雄姿をひと目見たいというファンの視線とは裏腹に、ライバルチームを含む関係者は、日本初の本格的な4WDレーシングカーが果たしてレースで通用するのか、探るような目で眺めていた。

 そんな期待と不安を背に、日置和夫はニッサン・モータースポーツ・インターナショナル(NISMO)の責任者として、現場におもむいていた。90年1月に、日産自動車からNISMOへ技術部長として出向、赴任したばかりの日置は、当時を振り返ってこう語る。

 「R32デビュー以前からR32プロトで4WDレーシングカーの開発を続けていましたが、そこで星野選手と長谷見選手はあまり乗る機会はなく、最初は2人とも『4WDはイヤだな』と言ってましたね。特に星野選手はレース前にはかなり緊張していたようです」

 だが、この全日本ツーリングカー選手権の開幕戦で、星野一義/鈴木利男組がデビューウイン。長谷見昌弘/A・オロフソン組が2位と見事に1‐2フィニッシュを飾り、その後のR32時代の幕開けを告げたのはご存じの通り。日置もこのR32で戦っていた時代を

「モータースポーツをやっていて一番面白かった時期でしたね」

と振り返る。

 茨城大学の工学部精密工学科時代は自動車部に属し、ラリーにも参戦していた日置は根っからのクルマ好き、モータースポーツ好きだ。学生時代は黒沢元治の弟とクルーを組んでラリーに出た経験もあり、モータースポーツ・エンジニアを目指して工学部を選んでいた。

 「子供の頃から自転車をばらしてみたり、バイクをばらして組み立ててみたりと、とにかく機械をいじるのが好きでしたね。それ以前、私自身は覚えていませんが、小さいときは木炭自動車を追い回したり、家の白い壁にクレヨンで大きくダットサンの絵を描いておこられたという話も、家人から聞いています。中学校の頃はクルマのカタログを集め、その頃から自動車雑誌のモーターファンを読み、オートスポーツは創刊号から持っていました。大学の自動車部ではフィギュア大会への参戦だけでなくラリーに出たり、主催者としてスポンサー集めに奔走したりしていましたが、やはりドライバーよりはエンジニアになりたいという気持ちが強かったと思います」

 そんな思いを遂げるべく、69年に日産自動車へ入社した日置は、当時は荻窪にあった第5機関設計部・第3エンジン課へまず配属される。そこでニッサンR382に搭載されていたV12エンジンの潤滑部分などを担当すると同時に、プリンス系の市販車に搭載されていたG型エンジンも担当していたという。

「当時はレーシングエンジンも市販エンジンも同じ部署で設計、開発をやっていましたね。その後、70年には日産のワークス活動休止が決まり、71年には追浜にあった中央研究所排気研究部へと異動になります。これからは排ガス対策がメインになるということで、レース関係の仕事をしていたエンジニアの多くは排ガス対策関係の部署へと異動していきましたが、その排気研究部で私はNAPS関連の開発とか、ツインプラグのZ型エンジンの開発などに携わっていました」

 プリンス系といわれた荻窪から、日産系の本拠地である追浜への異動。まだ日産とプリンスが合併して数年しか経っていないだけに、その違いは小さくなかったという。

 「自由な雰囲気で上司と部下の垣根が低かった荻窪に対して、追浜に行ったときはやはり上下関係がハッキリしているなと感じましたね。でも、私はあまりそういったことは気にならず、双方の出身者の橋渡し役をするようなこともありました」

 その排気研究部で数年を過ごし、次はエンジニアを離れて海外サービス部へ移り、79年には米国日産へ出向。ここから日置の国際舞台での活躍が始まる。


大学時代は自動車部に所属。根っからのクルマ好きが日産へ入社した。


81年、米国日産のオフィスで仕事中の日置さん。本業は日産車の技術サービスだったが、米国日産内にあったモータースポーツ部においても、現地スタッフと日本側とのパイプ役のような仕事もしていた。ここで米国流の付き合い方も学ぶ。


掲載:ノスタルジックヒーロー2010年11月号増刊 ハチマルヒーロー vol.14(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text:Osamu Tabata/田畑 修 photo:Ichi Kenji/市 健治

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