〈6〉1レースに60基のエンジンが用意されていた|トヨタ2000GT開発者座談会 Vol.6|3M型レース仕様エンジンは 220psが目標だった

──トヨタの高木さんから3M型レース仕様エンジンに関してどのようなリクエストがありましたか。

渡瀬 「トヨタのM型のシリンダーブロックを使用した3M型はボアとストロークが同じです。最高出力200psがなかなか出なかった。トヨタの要求はレース仕様で220psでした。」

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──「78時間スピードトライアル」に参加していますか。

渡瀬 「66年3月27日の「第4回クラブマン富士レース」にトヨタRTX(67年8月トヨタ1600GTとして発売)で細谷さんが優勝しています。これがトヨタとの初めての仕事でした。そして「78時間スピードトライアル」にも行っています。ヤマハからは車体関係の人を含め数人参加しています。」

──話はややそれますが、66年10月頃、センチュリーのV8エンジンのブロックを使ってV6エンジンを作り、トヨタ2000GTに積んでレースへ出そうという話があったと、以前、ヤマハの元第2技術部エンジン設計課の大見正俊さんから聞きました。しかし、そのV6エンジンを作るとトヨタ2000GTのラインが止まってしまうので計画は中止になったそうですね。

高木 「私はその話は聞いたことがありません。」



──田中さんは各パーツにどのようなものを採用したのですか。

田中 「トヨタ7の時、日本でホース類はいいものがありませんでした。アメリカのエアロクイップ社製のホースを使うと、ぐんとトラブルが減りました。」

田中 「サスペンションには当時日本にはなかったピローボールを採用しました。元レーサーのD・ニコルズを通して買いました。」

田中 「カーボンファイバー(炭素繊維)を一度に「大量買い」しました。当時1kgで30万円しましたから、トヨタの購買部からお叱りを受けました。カーボンファイバーは東レに発注しました。ジルコニウム(銀白色の金属。常温で酸やアルカリに対して安定し耐摩耗性がある)をブレーキディスクに採用しようと試作しました。ヤマハは新素材を積極的に研究し採用しました。」

──ヤマハではトヨタ2000GTの検査を厳しくやっていましたが。

渡瀬 「元ヤマハGPライダーの松島さんが出荷前に1台ずつ新車を高速テストコースで何ラップかしてチェックしていました。」

平 「トヨタ2000GTで気になったのは、シフトがやや重かったことですね。すぐ改良されましたが。」

──トヨタ2000GTのレース仕様は部品をその都度換えていたのですか。だから耐久レースに強かった?

渡瀬 「起こった問題はそのたびに解決していました。レース仕様のバルブスプリングやバルブリフター(バルブを開閉させる部品)の軽量化をすると、強度が落ちてしまう。焼き入れ(鉄鋼の表面に外部から炭素を浸透させ表面層の炭素量を増加させる作業で、表面の硬度を増すことができる)をした時の話です。焼き入れ屋さんは技術があってもすぐ対処できませんから、自分たちでその部分に炭素を塗りました。

レースの前にチームは何回も練習します。練習時にエンジンを10〜12基、それを4回。本番に10〜12基。1レースに合計50〜60基用意しなければならなかった。
 それだけ入念に準備したから、66年6月26日の「鈴鹿1000kmレース」、67年3月26日の「鈴鹿500kmレース」、67年4月8、9日の「富士24時間レース」、67年7月9日の「富士1000kmレース」で4勝できました。」

平 「それだけヤマハが用意したとは驚きです。全く知りませんでした。」

渡瀬 「金属疲労を考えると全部新しいものにします。次のレースまでの間隔が短いと余裕をもってエンジンを用意しておかないと仕事が回っていかない。」

──全部エンジンはベンチで回していたのですか。

渡瀬 「そうです。新しいエンジンは慣らし運転を1基、6〜12時間くらいやってました。そして、再組み立てして、もう1回性能試験してからトヨタに渡します。1基作り上げるのに合計200時間くらいかかりましたね。残業時間は月に270時間、家へ朝3時に帰り、1時間仮眠しすぐ会社に引き返す。よく倒れなかったものです! 子供にもなかなか会えなかったのが寂しかった。勝つためには仕事を優先させました。」

──レース部隊はみんなの憧れの的存在でしたか。

平 「トヨタ全体から見れば、私たちはそんな存在ではないですよ。」

渡瀬 「トヨタの仕事はヤマハにとっても委託開発ですから本流ではないです。しかし、4輪車の4サイクルエンジンや排ガス対策などで培った技術はいろんな形で次世代に反映されています。
 川上社長はもともと4輪車を生産したかった。一部の人しか知らなかった空冷2ストローク2気筒エンジンの「軽自動車」(高井品質部長が担当)も計画していました。サンプル車は旧西ドイツのハンス・グラース社のゴッゴモビル250。しかし、川上社長は「夢のあるスポーツカー」の開発を指示しました。安川研究室が始めたYX30やA550Xはそれを具現化したものです。川上社長はトヨタ2000GTだけで終わろうと思ってなかったはずです。大きな野望はあったと思います。」

──トヨタ2000GTは先進的なクルマでしたね。

松田 「トヨタ2000GTはトヨタで初めて本格採用したものが多いですね。DOHCエンジン、電動ファン、リトラクタブルヘッドライト、5速フルシンクロミッションなど先進的でした。」

高木 「アルミニウムのラジエーターも初めてでした。」

田中 「4輪独立懸架も本格的に初めてです。ラック&ピニオンも初ですね。」

田中 「4輪ディスクブレーキも量産車で初めてでしたね。」

高木 「こんなクルマの開発に携わることができて、私たちは幸せでしたね。」

──今日は長時間ありがとうございました。




67年4月8、9日の「富士24時間レース」で優勝した細谷四方洋/大坪善男組トヨタ2000GT(ゼッケン1)。



掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年6月号 Vol.151(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text & photo:Kouhju Tsuji/辻 好樹

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