〈5〉サラッと出てきた激レア車名! 「技術者の頭の中ではYX30、A550X、トヨタ2000GTはつながっています」|トヨタ2000GT開発者座談会 Vol.5|ヤマハが作った車たち

64年暮れにヤマハがA550X(ニッサン2000GT)を製作した。エンジンはYX80改型、水冷直列4気筒DOHC2L。最高出力は120ps。リトラクタブルヘッドライトを採用していた。

──ヤマハ発動機は2輪車をメインで製作していましたが、前から4輪車の経験があったのでしょうか。

渡瀬 「60年暮れライトウエイトスポーツのYX30の1号車が出来上がった。ボディはFRP。フレームは角パイプの軽量ラーメン構造。アルミニウムエンジン(単体の型式名なし)の総排気量は1588ccで水冷直列4気筒DOHC(最高出力88㎰/5600rpm)。デザインはGKデザイン。」

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──2+2クーペのYX30の2号車(デザインはコスモスポーツの小林平治が関与した可能性あり)の試作が進んでいた頃、安川さんがカリフォルニア州の航空機部品メーカーがタイスエンジンを開発したという記事を見て、すぐ技術を導入しました。そして、鋼板のプレス成型品でできた2L、YX80型DOHCエンジンの研究をしました。

渡瀬 「YX30のエンジンを担当している時、4気筒板金(タイス)エンジンを手伝うようになりました。エンジンブロックから燃焼室までほとんどの部品が鋼板で構成されています。その鋼板を銅メッキした後、炉に入れてブレージング(ろう付け)して組み立てました。シリンダーブロックの外板は3mmの薄い鉄板だったので剛性が不足していた。2Lエンジンの単体重量は120kgしかなかった。耐久試験を台上でする時、2人で持てましたから。

 ブレージングの確実性が得られず、燃焼室のクラック発生やエンジンブロックの合わせ目からの水漏れなどがあって、改良が重ねられるごとに板金部分が鋳造に置き換えられました。最終的に従来のエンジンに近づくという皮肉な結果になった。そして62年2月に安川研究室は解散し、発動機部に吸収されました。」

──日産から共同開発を提案したA550X(ニッサン2000GT)というスポーツカーも開発していましたね。A550Xは全長4177mm、全幅1568mm、全高1226mm、ホイールベース2380mm、トレッドは前後とも1340mm。

 トヨタ2000GTは全長4175mm、全幅1600mm、全高1160mm、ホイールベース2330mm、トレッド前後とも1300mm。

 A550Xの全高はトヨタ2000GTより66mm高い。ちなみに後で出てくるフェアレディZの全高は1285mmでA550Xよりさらに59mm高い。当初日産造形課が主張した全高は1200mmでA550Xに近いという事実は興味深い。当時日産の嘱託だったA・ゲルツが主としてA550Xをデザインしたと言われていますね。

渡瀬 「サイズはA550Xとトヨタ2000GTは全高を除いてよく似ていました。エンジンは鋳鉄ブロックとアルミニウムのシリンダーヘッドのDOHC。YX80改型、2L。最高出力120ps/6000rpm。サスペンションは4輪独立懸架。あのA550Xはトヨタ2000GTのルーツです。同じものという意味ではなく、同じスタッフが担当していたという意味です。トヨタ2000GTの開発期間がそのためにずいぶん短縮されました。技術者の頭の中ではYX30、A550X、トヨタ2000GTはつながっています。」

高木 「私も野崎喩さん(デザイナー)、山崎進一さん(シャシー担当)などとA550Xを見ました。2L4気筒エンジンは大きかったですね。」

──A550Xの試作はなぜ中止されたのでしょうか。

渡瀬 「日産の川又克二社長とヤマハの川上源一社長(オーナーではない父嘉市、源一、息子浩が3代続けて社長になった)の間になんらかの意見の違いがあったのだろうと思いますが、本当のところはわかりません。そのために「赤いA550X」の東京モーターショーへの出品は川上社長の命令で直前になって取りやめになりました。」

──田中さんがヤマハに入社した経緯を教えてください。

田中 「父親が織物工場を経営していたのですが、第2次世界大戦の空襲で焼けてしまいました。それで東京大学工学部機械工学科4年の時に、日本楽器製造から1年間奨学金をいただきました。私は入社3年目にマサチューセッツ州ケンブリッジ市のMIT(私立マサチューセッツ工科大学)に留学しました。2年で論文を提出し修士の資格を取り、62年ヤマハに帰りました。」

──トヨタに入社される前、高木さんは、大学在学中にスクーターでヨーロッパに行っていますね。

高木 「東京工業大学理工学部機械工学科在学中にラビット・スクーターで欧州旅行へ行きました。企画は同大学の桶谷繁雄助教授。富士重工業から5台のラビットが無条件で提供されました。57年7月18日から隊員7名は4カ月、7000kmの旅に出ました。フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、イタリアを走行しました。」



67年7月9日の「富士1000kmレース」で細谷四方洋/大坪善男組のトヨタ2000GTが2位に9周の差をつけ優勝を飾る。2位は高橋利昭/蟹江光正組のトヨタスポーツ800。

続く

掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年6月号 Vol.151(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text & photo:Kouhju Tsuji/辻 好樹

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