〈3〉スピード記録なのに、ゆっくりスタート?|トヨタ2000GT開発者座談会 Vol.3|78時間スピードトライアルは3つの世界記録を更新、同時に国際記録を塗り替えた

第3回日本グランプリで田村三夫のピットに入った高木。新聞紙がラジエーターに張り付いたためリタイアした。左のランプ上から空気を取り入れる形状に変更したアルミボディ。

細谷 「河野さんから「おまえ、レースじゃないんだから、そっとスタートしろ。クラッチも新しいんだから」と厳命されました。あのスタートは誰が見ても下手に見えました。ドライバーの5人にそのことは徹底されました。アクセルは絶対急に踏み込むようなことはしませんでした。あれ以降市販品も新しいタイプになりました。」

──2日目の夜、エンジン音が響かなくなりましたが。何かあったのですか?

高木 「電気系がトラブりました。タコメーターを見ていたら私はどこが悪いか発見できました。点火系の一次側に問題があることがわかったので、それを調べていった。あの頃のレーシングカーではセミトランジスタのコンデンサディスチャージというタイプを使っていたので電流が弱いんです。すぐに点火系のポイントの汚れを見つけました。逆に市販車は電流が強く油が付いても平気で、シリコングリースが薄く塗ってあるんです。12分間止まってしまい、記録を達成するために時間的なマージンが小さくなってしまいました。
 7200rpmという回転数で走るように各ドライバーに指示しました。だいたい1分32秒で周回しました。山本紘一さんとドライバーとの交信を交替で、細かい回転数を無線を使って指示しました。」

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田中 「河野さんが「オーバルコースの外側にあった宿舎に帰って寝よう」というので、私も寝に行った。うとうとしたところで目が覚めた。エンジン音が聞こえなくなっていた。河野さんとすぐ引き返しました。ピットインし、みんながてんやわんやでした。それから一睡もできませんでした。ポイントが問題で止まったのが、2日目の夜7時くらいでした。それからは何もすることがないので部品が滞りなくいくように部品を運んでいました。最後はホイールを磨いていました(笑)。」


前列細谷四方洋氏。後列左から田中俊二氏、松田栄三氏、高木英匡氏。トヨタとヤマハの開発者が一堂に会した珍しい写真だ。

田中 「練習中ですがオイル交換するオイルチェンジャーを引きずって1周しました。「なんか速度が上がらんなー」と思いました。バックミラーがないので、ドライバーはわからない。幸いオイルは漏れませんでしたが、恥ずかしい話ですので初めて話します。本当に練習中でよかった。」

高木 「その後、スタートの可否を示す信号を工夫しました。右と左の作業がOKになって初めて信号が青になるようにしました。」

田中 「アイシン精機がオイルポンプを大改造しました。オイルパンから吸い上げるポンプです。オフセットしたスキューギア(平行でなく交わらない二軸間の回転運動を伝達する歯車)は摩耗してしまいました。2週間で設計し直して中間軸にポンプを差し込む方式としたのです。配管からやり直したらうまくいきました。アイシン精機の仕事は実に見事なものでした。結局、ポンプを付けるためにシリンダーブロックも作り直しました。トヨタはラインで鋳物を作った。ヤマハはそれを追加工しました。大改造でした。試運転用、本番用、予備用の3台作りました。台上試験(ベンチテスト)で耐久試験を行いましたが、実戦とは違いますから心配でした。本番にはFIAの人も来ますから延期できません。台風28号も襲来しましたが、日程はどうしようもありませんでした。10月1日の午前10時とスタート時間は決まっていましたから。」

高木 「初日こそ快晴に恵まれましたが、2日目からは台風28号の影響で風雨にさらされました。風速10m/秒を超えるなか、トヨタ2000GTは200km/hをずっとオーバーして走り続けました。72時間走行時に206.02km/h、1万5000km走行時に206.04km/h、1万マイル走行時に206.18km/hと3つの世界記録を更新、同時に国際記録を塗り替えました。」

田中 「台風のなか走るのは本当に大変でした。路面は濡れていると滑ります。レースでは雨の時、ラップタイムはぐんと落ちますが、タイムトライアルでは設定タイムは変わりませんから。」

田中 「当時の機械加工精度は低レベルですから、よくトヨタの佐々木真平さん(技術員でレースの人事と総括の長)に怒られました。「あなたが一生懸命やっているのはわかるけれど、ちゃんとしたものを納めてもらわないと、うちの連中もたまらんのだよ。最後はトヨタが責任を持たなきゃならんのだから」と言われましたから、いつも「すみません」の連発でした。」

高木 「河野さんは「困るなー」という程度で怒りませんでしたね。人間のスケールがでかい。」

松田 「河野さんは人前では怒らず、陰に連れて行って「こんなふうにしたらいいよ」と指示してくれました。叱られたことは一度もありません。」

田中 「ヤマハサイドで苦労したのは最後までボディの水漏れでした。シャワーテストをすると、ドアの隙間からじわっとしみ出てくる。1台1台ハンドメイドのようなものですから。精度が落ちてるからそこから漏れ出す。トヨタの試験官はこれでもかというほど水を弱点の部分にかけてくる。それをクリアできたからいいクルマができた。」

──エンジンルーム内の配置を決定する際にバッテリーはサイドになっていますが、なぜあの部分になったのでしょうか。

高木 「トヨタ2000GTは全高が低く、バッテリーは大きい。エプロンの後ろしかなかった。ボディサイドの左がエアクリーナー、右がバッテリー。あそこしかスペースがなかった。フォグランプも大きいものしかなかった。リトラクタブルランプもアメリカの安全基準を満たすためでした。輸出を考えていましたから。最後に廉価版では固定式にして、発売しようとしましたが、予定どおりに価格は下げられず、販売されませんでした。トヨタ2000GTには最高品質が求められていましたからそれに応えるのは本当に大変でした。」



1万マイルのAIACR(Association Internationale des Automobile Clubs Reconnus)の記録認定証。206.18km/h、128.11マイル/h。下段には5名のドライバー名が書かれている。3つ世界記録の認定証が保存されている。この記録は1年後にポルシェに破られた。

続く

掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年6月号 Vol.151(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text & photo:Kouhju Tsuji/辻 好樹

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