【13】R383、さらにR384の計画も中止! ついえた夢、CAN-AM制覇の野望|最強のレース組織 日産ワークスの歩み Vol.13

CAN-AM用のシボレーV8から始まった日産のグループ7カープロジェクトは、1970年に入ってすぐに起きた日本グランプリの中止発表、排出ガスによる公害の発生を受け、いったん終了することが決定した。

 このときすでに、R382はCAN-AM参戦準備のためアメリカに送られ、CAN-AM参戦車としてR383の開発準備が進められていた。予定されていたエンジンは6Lから7L級、合わせてターボチャージャーの使用も視野に収めていたというから、パワーボリュームは、たったの2年で2倍から3倍へと膨れ上がっていた。まさに「排気量バブル」の表現がピタリと当てはまる時代だった。

 残念としか言いようはないが、歴史にありがちな「もし続けることが出来ていれば?」という仮定に関しては、別の形で実践例が示されていた。

 ポルシェと917ターボである。その結果はよく知られるように、アメリカンV8に集約されるローテク/ローメカのCAN-AMを、資金力と技術力に物を言わせたハイテク/ハイメカで蹂躙してしまったのである。

 プライベーターの集いに空気の読めない堅物メーカーが割り込んだ形で、1歩間違えれば、日産が同じことをしていた可能性も十分に考えられた。

 結果的にCAN-AM遠征プロジェクトは幻に終わったが、その後に続く排ガス対策による雌伏の時代を考えれば、うたかたの夢が見られただけでも、まだ幸せだったのかもしれない。



1970年6月の富士300マイルレース。結果的にこの大会が、ワークス活動によるビッグマシン最後のレースとなった。すでにJAFからグループ7カーによる70年日本グランプリの中止が発表され、メーカー側からも相次いで活動の縮小化や中止の意思表示が見られる時期だった。ライバルのいない最後のレースをR382は1-2フィニッシュで締めくくっていた。


グループ7活動の中止表明時には、すでにR382の後継として完成していたR383。さらにその次となるR384の計画も存在したようだが、それらはすべて中止となった。ちなみにR383が、その存在を明らかにしたのは1976年頃。しばらくの間は機密事項として保持されていたことになる。フロントラジエーター方式からサイドラジエーター方式に変更され、フロントカウルは抑揚の少ないフラットな面構成に。そのサイドフォルムからは、R382のウエッジ形状を進化させ、より小さなドラッグでより大きなダウンフォースを目指したことが見てとれる。


掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年12月号 Vol.148(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text&photo:Akihiko Ouchi/大内明彦

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