【11】TNT(トヨタ、日産、瀧)の激突! 第5回日本グランプリを制したR381|最強のレース組織 日産ワークスの歩み Vol.11

1968年の第5回日本グランプリを序盤からリードした2台のR381、北野元20号車と高橋国光18号車。しかし高橋車はハブベアリングのトラブルで中盤にリタイア。3台目のR381、砂子義一19号車もオーバーヒートを抱えて序盤から中団に沈んでいた。唯一生き残った北野車がかろうじて勝利を拾う展開だった。

68年の日本グランプリに参戦したR381は3台。

北野が優勝、ポールスタートの高橋はハブベアリングトラブルでリタイア、オーバーヒートに悩まされた砂子は終始中団と、明暗を分ける形で終わっていた。


 こうした状況は他のチームも大同小異で、中盤までに勝敗にからめる位置で生き残れたビッグマシンは北野車のただ1台だった。その北野車も、終盤は安全を見越して1000rpmダウンの走行となったが、それでも全車周回遅れにする格の違いを見せていた。

「(これといった競り合いもなく)勝ったという実感はあまりなかった」と振り返る北野の短いコメントに、グループ7カーが持つ次元違いのスピード性能が集約されていた。

 一方レース前には、参戦予定の4台によるレースディスタンスでの模擬レースまで行っていたトヨタ勢も、グランプリ本番では経験不足、熟成不足がたたって中団に沈んでいた。トヨタ初の純レーシングカーとなるトヨタ7は、2バルブヘッドのDOHC、吸排気が通常と逆レイアウトになるリバーストポート形式、2000GTの応用サスペンションと、設計面でも煮詰めきれない部分を覗かせていた。

 ただ、「ピーキーなところがなく、素直に反応するいいクルマだった」と鮒子田寛が言うように、よくできたスポーツカーの延長線上にあるような乗りやすさを備えていた。


 グループ7規定の導入効果は、30台というエントリー台数になって表れていた。とくに、レーシングビジネスを目的に67年秋に設立された瀧レーシングが、ローラ3台、ポルシェ2台を揃え日産、トヨタに対抗できる布陣を敷いたことから、このグランプリは「TNT(トヨタ、日産、瀧)の激突」とキャッチコピーで煽られていた。

 実際、日産とトヨタは自前の技術でグループ7カーを開発し、メーカーの威信にかけてグランプリ制覇を目論んでいたが、レーシングカー作りにたけていたわけではなく、むしろ瀧レーシングの揃えたポルシェ、ローラといったメーカー(コンストラクター)のほうが、レーシングカー作りは上手と考えられていた。

「変な捻れや振動もなく、まっすぐ走ってちゃんと曲がるクルマだった。商品としてレーシングカーを作ることは、こういうことなのかと感心した」とは、瀧レーシング時代にローラ、ポルシェの両方に乗り、日産に戻ってからR381系のテストをした長谷見昌弘のローラ評である。

 だが、期待された瀧レーシング3台のローラは、エンジン(酒井、5.5Lオープン)、クラッチ(長谷見、6.3Lクーペ)、タイヤ(田中、5.8Lクーペ)と直接シャシー性能には関係ない部分のトラブルにより、序盤戦で戦列を離れる無念のレースを強いられていた。





Aパドックでコースインに備える、トヨタ7細谷四方洋1号車。その背後に見えるのはR381高橋国光18号車。第5回日本グランプリを見据え3Lのグループ7カー、トヨタ7を作り上げて4台で臨んできたトヨタだったが……。



バンク内でダイハツP5久木留博之14号車をパスする、ローラT70長谷見昌弘25号車。瀧進太郎に乞われ、日産から瀧レーシングに移籍した長谷見にとって、ポルシェやローラシャシーとの出合いはその後につながる貴重な経験だったという。



掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年12月号 Vol.148(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text&photo:Akihiko Ouchi/大内明彦

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