【7】88年5月富士、グラチャン挑戦7年目! ADVANカラー初勝利を飾る|ヨコハマタイヤと伝説を作った レーシング・ドライバー 和田孝夫 Vol.7

88年5月15日の「富士グランスピードレース」でヨコハマはGCに挑戦してから7年目に、和田が優勝を飾った。和田はGC23戦目の勝利だった。

       
82年10月24日の「富士マスターズ250㎞レース」のマイナーツーリング(MT)。
 決勝。トップ争いは大場次雄ヤマトシビックⅣと渋谷栄治東名サニー。第2グループは和田ADVANサニー、萩原光ADVAN東名サニー。

 スリップストリーム使いの巧者和田が最終コーナーで3位の萩原の後ろで自車を左右にゆさぶり、前車の空力を乱すテクニックを駆使する。萩原がバランスをくずしかけて一瞬ひるんだところをついて和田は3位に滑り込む。優勝は大場シビックⅣ。和田はシリーズポイントで萩原を振り切り、MTのチャンピオンに輝いた。

 82年11月21日の「マカオGP」に和田はファルコン82Pで出場した。和田は予選7番手から追い上げを狙う。

 決勝の1周目、1コーナー、R・モレノが長谷見と接触。上位勢がリタイアしたあと、優勝したのは1周目17位まで落ちたR・モレノ。2位はA・ラウラー。3位はフロントウイングを壊し、息絶え絶えのエンジンを最後まで持たせた和田が入った。

「1周目にA・ラウラーのタイヤにぶつかり、ウイングが空を向いてしまいました。前がつぶれて3位になれた。この結果でパシフィックチャンピオンになり、賞金100万円を獲得しました。でも半分はカジノでなくなりましたけどね(笑)」

 83年10月2日の「世界耐久選手権レース日本大会WEC JAPAN」で柳田春人と組み、フェアレディZターボCコカ・コーラ(ニッサンLM03C)を駆り出場。が、オイルを規定以上の量を入れすぎたため失格になった。

「このレースから柳田さんのクルマに乗せていただき、日産との契約になりました。今まではなんとなく日産系という感じで、ヨコハマとの契約が優先されていました。これからは日産系のフェアレディZターボCコカ・コーラやスカイラインRSターボに乗るときはヨコハマ以外のタイヤも履き、F2やGCはヨコハマを履きました」

 84年からヨコハマは、スピリットホンダF1の開発ドライバーのS・ヨハンソンを起用し、ADVANマーチホンダで勝負をかける。84年にS・ヨハンソンはF2で3勝を挙げる。8月12日の「富士チャンピオンレース」ではほとんどバースト寸前のタイヤで極限以上の走りを見せ、優勝している。

 さらにG・リースを加え、高橋国光、高橋健二、和田でヨコハマ勢は5台態勢に進化している。ヨコハマタイヤのレースに関しては機会があれば書いてみたいが、今回は誌面の都合で割愛させていただく。

 86年に和田は鈴木亜久里と組みスカイラインRSターボ(全日本ツーリングカー選手権)で2勝を挙げ、F2やGCで高橋国光や高橋健二と同じ黒地に赤のADVANカラーのマシンに乗るようになる。

 86年5月4日の「全日本富士1000kmレース」に長谷見と組みニッサンR85Vアマダ(ダンロップ)で出場し3位に入る。優勝したのは皮肉にもヨコハマを履く高橋国光/健二組ADVAN ALPHA962だった。

「この頃からF3000、GC、耐久、ツーリングカーの4つのカテゴリーに出場しています。健ちゃんと一緒にテストに明け暮れました。このテストがあったからこそ今の自分があるんです。貴重な経験をさせてもらいました」

 86年5月31〜6月1日の「ル・マン24時間レース」に和田は長谷見 、J・ウィーバーと組みニッサンR85Vアマダを駆り、初出場した。決勝では16位。ル・マン挑戦は90年まで続き、最終年はM・M・サンドロサーラとA・オロフソンと組み35位だった。

 話はGCのヨコハマ初優勝になる。

 88年5月15日の「第3戦富士グランスピードレース」に和田はADVANローラT88Sで出場する。

 予選。ポールポジションは星野。長谷見、関谷正徳と続き、和田は4位。

 決勝。好スタートを切ったのは予選5位のG・リースで、星野に続き2位に食い込む。G・リースはヘアピンで星野のインをこじ開け首位に立つ。7周目、和田はスリップストリームを使って1コーナーで星野をパス。24周目、首位のG・リースと2位の和田の差は3秒を切る。

 30周目、和田はブレーキングミスしたG・リースを抜く。40周目、G・リースは1コーナーで和田のインをつき再びトップに立つ。残りは5周。42周目、G・リースはハーフスピンし、和田との差は一気に詰まる。最終ラップ、和田はスリップストリームに入り、G・リースのインに飛び込む。「ここで行かなきゃ男じゃない」と勝負をかけたブレーキングでG・リースを抜いた。

「最終ラップの1コーナーでG・リースの濡れているインを差したんです。インを閉めてきたから軽く接触した。当たらなかったら止まりきれなかった」

 このレースは和田とヨコハマがGC初優勝を飾ったメモリアルレースになった。ヨコハマがGCに挑戦してから7年の月日がたっていた。和田にとってGCに参戦して23戦目だった。

 和田の83年から5年間の苦労が報われた一瞬だった。ヨコハマがBSやDLに追いついた瞬間でもあった。

 和田のレース人生の中で、最高に観客を沸かせ感動させたレースは次のレースだ、と筆者は断言できる。



86年の「全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権」に挑戦した和田。86年5月4日の「全日本富士1000kmレース」で長谷見と組みニッサンR85Vアマダをドライブし3位入賞。



掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年2月号 Vol.149(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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ヨコハマタイヤと伝説を作った レーシング・ドライバー記事一覧

text:Nostalgic Hero/編集部 photo:Satoshi Kamimura/神村 聖

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