【5】「マシンが空から頭上に降って来た!」大クラッシュで記憶を三ヶ月間失うことに|ヨコハマタイヤと伝説を作った レーシング・ドライバー 和田孝夫 Vol.5

79年9月24日の「鈴鹿グレート20レース」に和田はシビエマルティニMk29で出場。2カ月後の「JAF鈴鹿グランプリ」での悲劇が待ち受けようとは知るよしもない。スタンド側は優勝した松本恵二ダイヤトーンマーチ782。

1979年11月4日のF2とフォーミュラパシフィック(FP)のダブルタイトル戦となった「JAF鈴鹿グランプリ」は和田孝夫のレース人生にとって忘れられないレースとなった。

 予選。中嶋悟はブリヂストン(BS)のDタイプ。星野一義、長谷見昌弘、K・ロズベルグはBSのGタイプ。和田、E・チーバーはダンロップ(DL)の061を履く。

ポールポジションは中嶋で1分51秒75、2番手は星野で1分52秒04、3番手はK・ロズベルグで1分52秒69、4番手はB・ガビアーニで1分52秒92、5番手は長谷見で1分53秒23。上位5車のマーチ792はBSを履く。6番手が和田シビエマルティニ Mk29で1分53秒29。和田のマシンは非力だがダンロップ勢で最速だった。マルティニ Mk29はマーチ792と比べると直線で速いが、コーナーで劣る。このタイムは和田がコーナーで頑張った気力の成果だった。

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 決勝の4周目、和田がヘアピンにアプローチした瞬間、B・ガビアーニの右フロントタイヤが長谷見の左リアタイヤに乗り上げる。B・ガビアーニのノーズが長谷見のリアウイングをはね飛ばす。B・ガビアーニのマシンは宙を飛び裏返しになり、長谷見の前にいた和田の頭部をロールバーが折れるほど直撃した。

 マシンはさらに半ひねりし、表向きになり、スポンジバリアにぶつかりストップ。和田は上方から強い衝撃を受け気を失い、バリアにクラッシュする。

 B・ガビアーニはマシンから出るが、カウルを外して脱げたシューズを探して履いている。その横にはぴくりとも動かない和田がいた。


 観客がガードレールを飛び越え、救助をサポートした。2人のサーキットの職員はマシンから和田を救出し、担架に乗せて走る。和田の頭部は担架の上で激しく上下し、手は担架からだらりと下がっている。このシーンは動画サイトなどで見ることができる。


 映像を見直すたび筆者の胸に怒りがこみ上げてくる。B・ガビアーニはシューズを探す前に和田を助けるべきだった。サーキットの職員もなぜ意識不明の和田を安静に保たなかったのか。

「あの鈴鹿の事故はボクのレース人生では痛かったですね。3カ月くらい意識がはっきりしなかった。B・ガビアーニが長谷見さんに追突して、空を飛んでボクの上に落ちてきた。そこから意識がありません。


 その時のボクは心肺停止状態で、医務室に運ばれた。10〜15分は意識がなく、そこで目を覚ました。35周のレースを終えて健ちゃん(高橋健二)が駆けつけてくれました。サーキットから5km離れた村瀬病院に3日間入院し、頭部のCTスキャンをとるために大阪の病院まで搬送されました。


 そして、自宅近くの神奈川県の藤沢湘南台病院に約3カ月入院しました。頭部を強打したので眼底に影響が出て、右目と左目のピントが合わない。窓の外を見ると同じ人が2人いるわけです。病院にいる間の記憶がなくなりました。入院中は普通に会話しているのですが、見舞いに来てくれた方の記憶がありません」と和田は話しながら視線を筆者の胸に落とした。


 約3カ月間の記憶喪失のため、初優勝のレースの記憶が曖昧になったのかもしれないと、筆者は想像したのだが、今から真実を解き明かす術はない。


「都合の悪いことは記憶がないことにしていますよ」と和田は豪快に笑い飛ばした。


 筆者はこの冗談に思わず顔がひきつってしまった。この男はあの事故の後復活し数々の優勝を飾っている。その自信がこんな冗談を言わせるのか。こだわらない性格と一言でかたづけられない、いい意味での図太さを和田は持っている。






掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年2月号 Vol.149(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text:Nostalgic Hero/編集部 photo:Satoshi Kamimura/神村 聖

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