柳田春人&桑島正美 Zを語る N2d名物 レジェンド ドライバートークショー 2

柳田春人さん(左)と桑島正美さん

メインステージでは特別展示車両にかかわった開発者やレジェンドドライバーによるトークショーが行われた。今回は例年以上に豪華ゲストが勢揃い。また、昨年に引き続き現役スーパーGTドライバーの松田次生選手も登場。これらゲストを相手に、司会進行するのはご存知、安東弘樹アナウンサー。アシスタント司会の久遠まいさんとともに、ここでしか聞けない当時の裏話を引き出した。

柳田春人&桑島正美 Z対談



 フェアレディZが誕生したのは今から50年前の1969年だ。フルオープンから快適性が高く、空力性能もいいクーペボディを採用し、エンジンも滑らかな直列6気筒を積んでいる。開発の早い段階からモータースポーツに参戦することを計画しており、チューニングパーツも豊富に用意された。サーキットデビューは70年1月だ。最初はS20型直列6気筒DOHCエンジンを積むZ432Rを送り出した。が、その後は240Zが主役となり、多くのドライバーに愛されている。

 フェアレディZは日産ワークスだけでなく若手のプライベーターにも託された。その代表が柳田春人さんと桑島正美さんだ。ふたりはZ432Rでサーキットに旋風を巻き起こし、ブラジルにも遠征した。ふたりとも1950年生まれの同い年で、出身も埼玉県と共通している。ふたりによるZ談義は、柳田春人さんの明るいキャラクターと絶妙なツッコミにより笑いの連続だった。

 桑島正美さんは、「現役時代は、柳田と仲が悪かったわけではないけど、同い年で同じクルマに乗っていたライバル関係ではありましたね。もちろん、昔も今も親しく話す間柄です。こうしてイベントなどでもよく一緒にトークショーやるし。レースデビューはブルーバードの510で、フジツボさんがチューンしたマシンに乗ってポールポジションを奪いましたね。

 何戦か走ったけど、なかなか勝てないのでボクよりオヤジのほうが熱くなってしまって(笑)。それで戦闘力のあるZ432Rを買ってくれた。Zに乗り換えたら、すごく乗りやすいクルマだったのでビックリしたよ。最初のレースでは4台のZが出場したけど、ボクが逃げ切って優勝した」

 と、Zの印象とデビュー戦の結果を語っている。このころから柳田春人さんと争うことが増えてきた。
「ボクはフェアレディSRから乗り換えたので、乗りやすくて速いクルマだと思ったよ。ただし、振動が大きくてよく壊れたんだよ。SRでリタイヤしたことはなかったけど、Z432Rではリタイヤが多かった」  と、柳田春人さんは述べている。

 70年の冬、ふたりはブラジルに遠征している。Z432Rを持ち込み、精力的にレース活動を行ったのだ。

「最初は2台のマシンを持ち込む予定だったけど、1台になったので代わる代わるレースに出たんだよ。インテルラゴスサーキットはコースが複雑で、覚えるのは大変だった。エマーソン・フィッティパルディが『日本にもこんな高性能エンジンってあるんだ』って驚いていたね。ボクも桑島も総合7位だった。ボクはスコールが降ったとき、2位まで浮上していたので、レースは中止になったけど、成立していれば賞金も凄かったんじゃないかな。優勝賞金は500万円くらいで、7位でも70万円もらえた」  と、そのときのレースを振り返る。

 Z432Rと240Zの印象をたずねてみると、異口同音に 「好きなのは240Zだね。Z432Rは鼻先が重く、振動も大きかった。240Zのほうが軽く、トルクも太いので扱いやすかったんだ。『Gノーズ』をつけると直線で最高速も伸びた」 と述べている。

 当時、「雨の柳田」と呼ばれたが、ミッドシップのレーシングカーより車重のあるZは雨のレースで強みを発揮した。ファンに取っても楽しいトークショーになったようだ。







text:Hideaki Kataoka/片岡英明、Akihiko Ouchi/大内明彦 photo:Motosuke Fujii/藤井元輔

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