日本最大級のクラシックモーターショー、ノスタルジック2デイズのメインステージでは、特別展示車両にかかわった開発者やレジェンドドライバーによるトークショーが行われた。今回は例年以上に豪華ゲストが勢揃い。
また、昨年に引き続き現役スーパーGTドライバーの松田次生選手も登場。これらゲストを相手に、司会進行するのはご存知、安東弘樹アナウンサー。アシスタント司会の久遠まいさんとともに、ここでしか聞けない当時の裏話を引き出しした!
高橋国光&長谷見昌弘 GT-R対談 かつて最強を誇った日産ワークスのいわば長男と末っ子によるトークショーとなったのが、高橋国光さんと長谷見昌弘さんのステージである。 このお二人、今風に言えばレジェンドドライバーのひと言なのだが、日産ワークス当時、さらにその後の活躍を知る人にとっては、まさに雲の上、極論すれば神様のような存在だ。
今回は、スカイラインGT‐R50周年をテーマに、おふたりがGT‐Rで活躍した1970年から72年までの3シーズンについて、いろいろ語ってもらおうという設定だ。それにしても黄金の組み合わせ、ショーの開始前から多くの人がステージ前に集まり、開演を待ちわびる状態だった。
安東弘樹MCの進行で始まったトークショーは、国光さん、長谷見さん、それぞれのGT‐R歴から始まった。GT‐Rは、69年5月のJAFグランプリでデビューしたが、日産ワークスのドライバーが本格的に乗り始めたのは70年シーズンからで、この年の主軸ドライバーとしてステアリングを握ったのが国光さんだった。
結果的に、国光さんはこの年の全日本選手権T2部門でチャンピオンに輝いているが、その戦績は5戦5勝とパーフェクトだった。この時のいきさつをスライド写真を使いながら安東MCが感想を求めるのだが、当の国光さんは見事に期待を裏切る「よく覚えていないんだよね」と笑いながら肩すかしを食らわすリアクション。
2、3回こうしたやりとりが続くと安東MCもよくしたもので「では、念のためクニさんにお聞きしますが」と切り出すようになり、国光さんも笑いながら「はい」と答えると、場内が笑いに包まれる一体感が生まれていた。
しかし、これにはいかにも国光さんらしい理由があった。「直面するレースには全力で臨みますけど、終わってしまえば、勝っても負けてもあまり気にしないんですよ」
相手を抜くときは、抜かれた相手が気づかぬうちに抜き去っていたい、と武芸の達人を思わせるドライビングスタイルを目指していた国光さん。それゆえに、個々のレースは済んでしまえば一期一会ということらしい。
一方の長谷見さんは、67年末までは大森契約のドライバーで、タキレーシングで2年間過ごした後、70年に追浜契約で日産に戻っている。日産復帰後は、早々にZ432やGT‐Rに乗車。気になるGT‐Rの印象については「エンジンは速かったけどシャシーがイマイチだった。日産にはブルーバードなどバランスのいいクルマがあったからね」と辛口の評。ただしそれはセダンGT‐Rのことで「ハードットップになって俄然よくなりましたね」と。
71年、マツダがカペラを投入してGT‐Rとの性能差を詰めてきた時の状況に話がおよんだ。長谷見さんが「ロータリーの排気量換算がいまひとつ分かりにくかったですね」と言えば、国光さんが「ドイツのバンケルがさじを投げた方式を、マツダが何とかしてしまったわけでしょう。それはすごいことだと思う」と相手を賞賛。
しかし「直線は速かったけどコーナーが遅かった」とふたり口を揃えたコメントには、じっと聞き入っていた会場のファンも納得した様子。 国光さんとスタートからゴールまで終始テール・ツー・ノーズ、サイド・バイ・サイドで走り、ワン・ツー・フィニッシュでチェッカーを受けた71年5月の日本グランプリを振り返った長谷見さんが「2台は同じクルマ、同じエンジン、同じチューニング。接近して走れば回転数も同じ。2台の排気音が重なって1台になるんですよ。その音がストレートで壁に反響して聞こえてくる。そりゃもうイイ音でしたよ。直6最高、V6はイモ!」このオチに会場は爆笑に包まれた。
さて、72年3月、豪雨の富士スピードウェイで前人未踏の50勝目を記録した国光さんだが、安東MCが冗談めいた口調で「これ、覚えてますか」と水を向けた時がおもしろかった。「これは覚えてますよ」と笑いながらこぼれ話を披露してくれた。
「あの時はトッペイちゃん(都平健二選手)とボクの2台で参加したんですけど、選択したタイヤがボクとトッペイちゃんでまったく違っていたのですよ。それで、ストレートはトッペイちゃん、コーナーはボクのほうが速かった。しかし、トッペイちゃんが、最後の最後でスピン、リタイアしてしまった。あまりの豪雨で短縮レースになってしまったのだけど、2位以下は周回遅れにしました」と少々ドヤ顔で当時のことを語ってくれた。
途中、かつての同僚だった砂子義一さんと北野元さんが登壇。砂子さんは年長、北野さんは「高橋、北野」と当時並び称されたドライバー。武芸者、求道者の国光、ファイター北野、天才長谷見と、最速、最強の日産ワークスを形成した最高峰の存在だ。
その北野さん、饒舌にチームが指示したエンジンのレブリミットを無視したことを暴露。ファンの笑いを誘う貴重なウラ話を話してくれました。
ほとんどコンビを組むことのなかったこのお二人が、実質的に日産ワークスの締めくくりとなる72年11月の富士ツーリストトロフィーにチェリーで参戦。総合5位クラス優勝はさすがだったが、当時としては珍しいFF車だったことから最後は現代のFF論に。
「現在のクルマはほとんどFF。FRのよさ、楽しさを知らないいまの人は気の毒ですね」という長谷見さんに対し「いまのFFはよくできているよ。走らせやすいし、効率的にも優れているし、別にFRである必要はないと思うけどね」と国光さんが反論。
すると「ホンダのレジェンドに乗っている人だから」と長谷見さんの切り返しに場内爆笑。
最高峰を極めたお二人のトークショーは、またたく間に時間が過ぎ去る楽しいひとときでした。