そして「Z」は名声を得ることに! 当初「45項目」もの不具合がテストチームから報告されていたS30Z|フェアレディZのシャシー設計者「植村 齊氏」に聞く Vol.3

フェアレディZのシャシー設計者 植村 齊氏に聞く(その3)

初代S30フェアレディZは、北米テストなどで不具合を洗い出した結果、合計45項目の不具合が発見される。発売前に改良を加え、現地では1970年4月の発売となった。Zは発売後も改良が加えられ、どんどん完成度を上げていった。その結果、アメリカでは発売されるとたちまち大反響を呼び、今でも多くの熱狂的ファンを抱えている。そんなS30Zのシャシー設計を担当した植村齊氏に話を伺った。(本文中敬称略)


 今回、福田正設計部長が書いた、1969年10月21日の「Z北米派遣テストチーム不具合報告第一報」の文書を見せていただいた。対策内容は正式文書ではなくペンで書かれたメモである。これを見るとアメリカ発売前に対策されたものもあることがわかる。

 後になって改善された項目も多く、例えば「排ガスが室内に侵入する」という問題は、1971年3月のマイナーチェンジで、テールゲートにあったエアアウトレットをリアクオーターパネルに移動することによって解決したようだ。



 また、1971年10月、HS30(2.4L)が国内に登場した際には、S30のシャシーが変更されている。デフのギア・キャリアをサスペンション中心と合わせるために35mm後退させているのだ。それに伴いプロペラシャフトとリアサスペンションも変更された。このことは日産車体の設計担当の宮手敬雄(ひろお)が「振動対策として変更されたと思う」と証言している。

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 1973年9月にはバックランプが独立し、通称「2テール」になったがその他に大きな変更はない。一般的にこれ以降を後期型と呼んでいるが、実は発売されてから毎年変更は行われていた。

 1976年7月にデビューしたS31は、51年排ガス規制に適応したエンジンを搭載。ファイナルギア比を4.375に落とし、ダッシュ力を強化している半面、最高速度は190km/hから180km/hにダウンした。

 その頃には次期モデル登場前となり、クルマは熟成されていく。マイナーチェンジ(外装や補器など)や軽微なクレーム対策は主に生産工場である日産車体が対応しており、第3車両設計課はシャシー関係の設計変更の他、S130Zの開発に精力的に動いていた。

 初代Zが最も多く生産されたのは1977年の8万4000台だ。後継モデルの130Zは79年に10万5000台を生産している。生産台数では130Zに譲るが、世界的な名声を獲得したのは間違いなく初代Zだった。


記念写真を撮るテスト部隊。クルマの後ろの左から日産車体の大沢英二電装補器課長、植村テスト隊長、片山豊米国日産(西部地区)社長、熊谷健二エンジン担当、現地スタッフ。前左から日産車体の堀井尚文実験課長、ジョニー社長秘書、土屋紫朗実験担当、米国日産の阿部。


掲載:ノスタルジックヒーロー2010年10月号 Vol.141(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text:Nostalgic Hero/編集部 photo:Ryoutetu Kamisato/神里亮徹

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