ミッドシップという新たな武器を得たロードカー|1974年式ロータス ヨーロッパ スペシャル Vol.1

       
●1974年式 ロータス ヨーロッパ・スペシャル

 幸運にもこれまで、その初期モデルであるS1(タイプ46)から、最終型のスペシャル、さらに孤高のレーシングモデルであるタイプ47まで、すべてのロータス・ヨーロッパ一族をドライブする機会に恵まれてきた。

 そこで実感したのは、わずか9年あまりのモデルライフの中で、ヨーロッパが原初とはまったく違う方向に進化を遂げているという事実だった。その謎をひもとくためには、まずはその成り立ちから振り返ってみる必要がある。



 ロータスがヨーロッパの開発に着手したのは1965年のこと。セブン、エラン、コルティナに次ぐ第4のラインを構築するにあたり、彼らは躊躇なくミッドシップ・レイアウトを選択する。
 すでにGMコルヴェア・モンザGT、ルネ・ボネ・ジェットという先人がデビューを飾っていたとはいえ、まだ市販車でミッドシップというレイアウトの可否が未知数だった時代だ。

関連記事:9年の間に大きな変化が! シリーズ1の持つ思想から異なる道へ|ロータス ヨーロッパ・スペシャル Vol.2

 しかしロータスには60年に登場したフォーミュラカー18FJ以来、多数のミッドシップレーサーを生み出してきた実績があった。そしてそのレースでのイメージを市販車に踏襲することが、何よりも効果的であることをチャップマンは知っていた。
 そこで彼らが目指したのは、ミッドシップの利点を最大限に使った軽くてシンプルでハンドリングのいいGTだった。

 それは、ほぼ同時期にギアボックスとの2階建て構造をもつ横置き12気筒を、パネルを溶接した鋼板フレームのシャシーに搭載して生まれたランボルギーニ・ミウラのアプローチとは対照的といえた。

 そんなヨーロッパに搭載されるエンジンには重いロータスTCではなく、発売されたばかりのルノー16用オールアルミ5ベアリング1.5L OHVが選ばれた。

 また、非力なルノーエンジンを補うべくシャシーには徹底的な空力処理が施され、車体裏をすべてアンダーフロアでカバー、左右のウインドーもハメ殺しとされたほか、重量バランスの変化を嫌ってシートも固定式とするなど、整備性や快適性をも犠牲にした理想主義が貫かれたのが特徴だった。







掲載:ノスタルジックヒーロー 2012年6月号 Vol.151(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Yoshio Fujiwara/藤原よしお photo:Daijiro Kori/郡 大二郎

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