若きジャン・レデレの目の前には、ルノー4CVがあった。あなたにサニーやスターレットがあったように|アルピーヌ・ルノーA110 1600S Vol.1

       
●1972年式ALPINE RENAULT A110 1600S

2008年にこの世を去ったアルピーヌの創始者ジャン・レデレ。彼がアルピーヌに託した思いをフランスのルノー研究家のひとり、ドミニク・パスカルはこう表現する――

「彼はフランスの自動車産業に再び高貴さと栄光をもたらしたかった。国際レースに出場して勝つことのできる純フランス製のスポーツカーをフランスのモータリストに乗ってほしかった」のだと。



大径のメーターは1970年までがイエーガー製。71年以降はヴェリア製となる。ギアボックスは標準装備の353型5段MT。当時はオプションで強化タイプの364型もセレクトできた。ステアリングはモモ製のプロトティーポ。


 この思いは、当時国境を隔てた各地でスポーツカーを造ろうと夢見ていた若者たちにとっても、共通であったに違いない。たまたまコーリン・チャップマンの目の前にあったのがオースティン・セブンであり、カルロ・アバルトの目の前にあったのがフィアット600であり、フェリー・ポルシェの目の前にあったのが、VWビートルであっただけのこと。


 そして若きジャン・レデレの目の前には、ルノー4CVがあった。


関連記事:ラリーにスピードを与えたフランス製スポーツカー|アルピーヌ・ルノーA110 1600S Vol.2

アルプスに育まれた愛すべきベルリネット

 レデレの父親がルノー・ディーラーを営んでいたことは有名な話だが、若かりし頃はレースメカを務めた経験ももっていたという。つまりレデレには生まれながらにして “走り”のDNAが埋め込まれていたのだろう。

 4CVを駆ってモンテカルロをはじめとする各地のラリーに出場し好成績を収めた彼は、より速く走るために、ジョバンニ・ミケロッティにデザインを依頼し、カロッツェリア・アレマーノが製作したアルミボディを載せた4CVスペシャルを製作。それこそが今回紹介するアルピーヌA110の物理的、精神的ルーツとなるのである。


この1600Sは、貴重なひとつ目のカバーが付くシビエ製のオスカー・フォグランプやゴッティのホイール、エクトールのバケットシートなど、ワークスを意識した定番ともいえるモディファイが、程よく施されている。


 この4CVスペシャル以降、ジャン・レデレの製作するスポーツカーは、ルノーの小型サルーンと歩みを共にしていくことになる。 その歩みはルノーとともにレデレにとってアルピーヌの名を冠した初の量産モデルとなったのは、55年に発表されたA106ミッレミリア。


 この4CVをベースとした2シータースポーツ最大の特徴は、パリ郊外のサン・モーにあったカロッツェリア、シャップ・フレールが製造したFRP製ボディにあった。
 これにより軽量化とともに、自由なスタイリングを手にしたアルピーヌは、同時に自社ブランドのイメージ向上を図っていたルノーとの提携にも成功。パーツ供給はもちろん、宣伝や販売網の協力を取り付けた。


 そんなアルピーヌに最初の転機が訪れるのは60年のことだ。56年に4CVの後継たる5CVドーフィンが、58年に“魔術師”アメデ・ゴルディーニがチューンを手がけたその高性能版であるドーフィン・ゴルディーニがリリースされるなど、年々進化していくにつれ、その受け皿となるシャシーの必要性を痛感。独自に開発した丸形鋼管フレームによるバックボーン式シャシーを採用したA108ベルリネット・ツール・ド・フランスを世に問う事になる。


 そして62年、5ベアリングの新世代4気筒OHVを搭載する最後のRRサルーン8(ユイット)が発表されたことで、アルピーヌ製ベルリネットもA110へと発展。ここにA106から続いてきた一連のRRスポーツは一応の完成をみることになる。



リアのデヴィル製マフラーも定番パーツのひとつ。バンパーもコンペ用の軽量FRP製。





掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年12月号 Vol.148(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text:Yoshio Fujiwara/藤原よしお photo:Takashi Akamatsu/赤松 孝

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