あのゴードン・マレーが唯一認めたスポーツカー|ロータス・エラン Vol.2

当時としては画期的なポップアップ式のヘッドライト。エンジンの負圧により開閉する方法は、チャプマン所有のジャガーEタイプに付いていたヒーターコントロールからヒントを得たもの。

●1967年式LOTUS ELAN S3 S/E


オープンボディながら軽量高剛性のシャシーを得た奇跡のハンドリングマシン、エラン。このクルマが後世まで名を残した理由は、天才デザイナーが遺したロータスの方程式にあった。




 59年にデビューするや否や世界中のアイドルとなったスポーツカー、ヒーリー・スプライトに倣った安価でシンプルなスポーツカーの開発プロジェクトを任された、元英国フォードのデザイナー、ロン・ヒックマン。
 彼ら開発陣は、FRPに埋め込む予定だったパワートレインやサスペンションのマウントを、鋼板で一体化したバックボーンフレームをシャシーとする解決策を見いだす。

 そしてこの鋼板製バックボーンフレームは思わぬ副産物をもたらすことになる。ひとつは、軽量高剛性のシャシーを得たことで、エランが後世に残る奇跡のハンドリングマシンとなったこと。

 そしてもうひとつは、このアイデアの発展により、F1界初のアルミ製モノコックシャシーを持つタイプ25が開発されたことだ。

関連記事:天才デザイナーが遺したロータスの方程式。その答えとは?|ロータス・エラン Vol.1


 こうして63年から実質的なデリバリーが始まったエランは、当時のAUTOCAR誌で「チャプマンはスポーツカーのルールブックを書き変えることに成功した」と絶賛されるなど好評を博し、ロータスに奇跡のV字回復をもたらす救世主となった。

 またF1では、タイプ25を駆るジム・クラークが10戦中7勝という圧倒的な強さをみせ、ロータスに初のワールドタイトルをもたらすことに成功。ロータスは黄金期を迎えることになる。



ゴードン・マーレイも認めた1台

 そんなエランの成功を支えたもうひとつの力が、フォードの存在。

 当時本気で世界制覇をもくろんでいたフォードは、ヨーロッパにおいてそのスポーツイメージを向上させるパートナーとしてコーリン・チャプマン率いるロータスに目をつける。

 さらに彼らは戦略車コンサル/コーティナのスポーツバージョンの開発を依頼する見返りに、ロータスへの資金援助と、116Eブロックの供給も申し出たのである。


 そこで開発されたのが、エランのアイデンティティーである、ロータスツインカムユニットだ。

 元コヴェントリークライマックスのエンジニアであったハリー・マンディによって設計されたツインカムヘッドは、設立間もないコスワースエンジニアリングの手により熟成され、多くの日本製ツインカムエンジンにも影響を与えた傑作ユニットに仕上がった。

 こうしてロータスの屋台骨を支える旗艦車種となったエランは、数々の改良を加えられながら、73年まで1万2000台あまりが生産されたのである。

 と、ここまで書き連ねたところで、最後にこのクルマの魅力を端的に示す言葉を紹介することにしたい。

 それは生前にヒックマンから聞いた、こんなエピソードだ。


「私はエランを造ったことに誇りを持っている。なぜならエランは、あのゴードン・マーレイが唯一認めたスポーツカーなのだから(笑)」





1枚のベニア板にスミス製のメーターを並べただけながら、ここにはスポーツカーに必要な要素が全て詰まっている。ビニールレザー製の純正ステアリングは今や貴重品だ。




車両は、ホンダSやロータス・エランなどのレストア実積において国内屈指の実積を誇るガレージイワサの手によるもの。

シリーズ3 ドロップヘッドクーペは、エラン各シリーズに用意されたS/E(Special Equipment)と呼ばれる高性能版で、クロスレシオ・ギア、カムシャフト等を変更して115bhp(スタンダードは105bhp)を発揮するツインカム・ユニットが組み合わされている。



掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年10月号 Vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Yoshio Fujiwara/藤原よしお photo:Daijiro Kori/郡 大二郎

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