天才デザイナーが遺したロータスの方程式。あの日曜大工の道具も設計|ロータス・エラン Vol.1

       
●1967年式LOTUS ELAN S3 S/E

ある天才デザイナーの遺産


2011年2月、海外のメディアに小さく訃報が載った。

"Ron Hickman ? car designer and creator of Black & Decker Workmate ? dies at 78.

"英国の家庭にならどこにでもある日曜大工の作業台「ワークメイト」の発案者として有名だったこのミリオネア。

彼は、20世紀を代表するライトウェイトスポーツカーの生みの親でもあった。

 そのクルマの名はロータスエラン。



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 1962年10月に開催されたアールズコートモーターショーでベールを脱ぐ。しかし、このクルマは、その後の栄光とは裏腹に幾多の困難を経て生まれたものだった。


 話は57年にさかのぼる。レーシングカーコンストラクターとして、スポーツカーメーカーとして独立を果たしたコーリン・チャプマンは、自社の収益の要となるフラッグシップGTを発表。それが、FRPモノコックボディという奇抜なアイデアを具現化したFRスポーツ、エリートだった。

 ル・マン24時間レースにおいて、59年の1.5Lクラス、60年から64年までの1.3Lクラスを席巻し続けた実績が証明するとおり、エリートは当時、抜群のドライバビリティーを誇るスポーツカーでもあった。

 しかし技術的、態勢的の不備などから、デリバリーが始まってからもクレームが相次ぎ、「1台生産するにつき100ポンドの赤字が出る」といわれ、創業間もないロータスを深刻な経営危機に陥れてしまうことになる。


 そこで企画されたのが、59年にデビューするや否や世界中のアイドルとなったスポーツカー、ヒーリー・スプライトに倣った安価でシンプルなスポーツカーの開発。このプロジェクトを任されたのが、南アフリカ出身で元英国フォードのデザイナー、ロン・ヒックマンだったのである。


 北米市場での成功を必須とされたため、オープンボディで企画されたエランは、チャプマンの執着でFRPモノコックを前提に開発が進められた。

 しかしながら、クローズドボディのエリートでさえ問題の多かったFRPモノコックが、オープンボディで実現できる見込みはない。

 そこでヒックマンら開発陣は、FRPに埋め込む予定だったパワートレインやサスペンションのマウントを、鋼板で一体化したバックボーンフレームをシャシーとする解決策を見いだす。

 ここに今のエリーゼやエヴォーラにまで続く、金属製ベースシャシー+FRPボディという、ロータスの方程式が完成を見るのである。





十数年前に日本に輸入されて以来、一度も登録されたことがないという個体だが、今や貴重なビニールレザー巻きの純正ステアリングが残されているうえ、トリムも破れや傷みが見当たらないなど、オリジナル度は高い。

またラゲッジルームをのぞいたら、純正で用意された車載ジャッキも残されていた。あえて重箱の隅を突つくとすれば、インパネにつく2個のエンジンオープナーが、使いやすいステッキ式とされ、ステアリング脇に移設されていることくらいか。




ヴォグゾール・ヴィクター用のテールレンズを流用するようになったのは、S2から。



1967年式LOTUS ELAN S3 S/E

全長 3683mm
全幅 1422mm
全高 1156mm
ホイールベース 2134mm
トレッド前/後 1195/1195mm
車両重量 686.9kg
乗員定員 2名
エンジン 水冷直列4気筒DOHC
総排気量 1558cc
ボア×ストローク 82.55×72.75mm
圧縮比 9.5:1
最高出力 115ps/6000rpm
最大トルク 14.9㎏-m/4000rpm
サスペンション 前ダブルウィッシュボーンコイル
                       後ロワーウィッシュボーン/ストラット
ブレーキ 前後ともディスク
タイヤ  前後とも145×13



掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年10月号 Vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Yoshio Fujiwara/藤原よしお photo:Daijiro Kori/郡 大二郎

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