【2】カーショップターボ、そして松岡自動車へ。74年サニーで初優勝|ヨコハマタイヤと伝説を作った レーシング・ドライバー

       
和田孝夫は53年6月24日、神奈川県藤沢市に生まれる。御所見小学校、御所見中学校に通う。

高校はモータースポーツがやりたくて相模台工業高校機械科に入学。担当の伊藤先生はクルマに詳しくなかったが自動車部を立ち上げる。当然、クルマのことは教えてくれない。

和田は高校1年で米軍の厚木基地の中で開催されたモトクロスのレースに出る。「海老名ファントム」というチームに入り、ノービスクラスにヤマハAT-1(125cc)で出場したが、和田より速いライダーはいっぱいいたので良い成績を残せなかった。

「ボクは2輪のセンスがない」と1年で気づく。早速「4輪へいってみよう」と決断する。最初、厚木の「カーショップターボ」の門をたたく。中学の先輩がパブリカでレースをしていて「レースをやるならサニーがいいよ」と助言してくれた。



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 72年8月13日の「富士フレッシュマンレースシリーズ第4戦」のデビューレースであっけなくリタイア。

友達が適当にパーツを付けてくれたサニーは案の定まったく走らず、すぐエンジンが壊れた。しょげ返っていると「カーショップターボ」の社長が「松岡自動車」(サニーのエンジンチューナーとして有名)を紹介してくれた。松岡社長は「いいクルマを造るにはお金がかかるよ」と和田に言い放った。

「初めから親には一切援助してもらいませんでした。ガソリンスタンドでアルバイトしてお金をためました。『社長、レースをしたいので2、3年働くから、退職金代わりのお金を先にください』と訴えました。社長に約50万円の中古のサニーを買ってもらってレースへ出場。73年はクラッシュの連続でした」


 74年3月24日の「74富士ツーリングチャンピオンレース第1戦」で和田は初優勝した。

「このレースはよく覚えています。独走で初優勝でしたから」

  当時の雑誌にはポールポジションを獲っているが、3周目から和田がトップに立ち優勝したと書かれていた。和田の記憶と微妙な差があった。このことは和田の話を聞いていくうちに後で納得できるようになる。

「その頃から、格上のレースに出場している健ちゃん(高橋健二)と話をするようになりました。富士スピードウェイ(以下富士)の近くの民宿「神明荘」がボクたちの定宿でした。そこで健ちゃん、早乙女実さん、杉崎直司さん、土屋春雄さん(土屋エンジニアリング代表)に可愛がってもらうようになりました」


76年12月5日の「富士ツーリストトロフィーレース」では和田は大塚光博と組んでGTスペシャルサニーを駆り、総合5位、クラス優勝を飾る。

掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年12月号 Vol.148(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

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text : Nostalgic Hero/編集部 photo : Ryotesu Kamisato/神里亮徹

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