1976年、横浜港を旅立った280Z|アメリカから持ち帰った大切なZ|77年式 ダットサン280Z Vol.1

       
76年に1台の280Zが横浜港から、カリフォルニアに向け船出された。

 それから28年後の2004年7月。カリフォルニアのサンタバーバラに日本から脇一太郎さんが研究者として赴任した。単身赴任となった彼の趣味はクルマ。米国での足に購入したMX-5ミアータでハイウェイを走っていると、日本ではあまり見かけなくなったS30Zが数多く走っていることに気付いた。S30Zは子供の頃の憧れ。乗ってみたいと強く思うようになり、個体数が多いであろう240Zを中心に探してみることにした。

 しかし、30年前のクルマ。程度の良いものは、なかなか残っていない。そんな中、ネットの個人販売サイトに、売りに出たばかりの280Zがあった。

関連記事:30年の時を経て、横浜港へと戻ってきたZ-Car|アメリカから持ち帰った大切なZ|77年式 ダットサン280Z Vol.2


 このクルマのオーナーはサンフランシスコ在住で日系2世を妻に持つ体重100㎏を超える巨漢の元刑務官。26年前、ポルシェ914の購入を考えていた彼の前に、新しく発売された1台の280Zが現れた。冷静に性能だけで判断した結果、280Zを購入。大事に乗り続けていたが、増加した体重が邪魔をし、狭いコクピットに収まらなくなってきた。そこで彼はハーレーに乗り替えることを決断。この280Zを売りに出すこととなったのだ。

 実際に足を運んで見に行った脇さんだったが、保管状態もよく、まめにメンテナンスされていたため、購入を決定。価格交渉し、2カ月後に晴れて280Zのオーナーとなったのだ。


ナンバープレートは米国で使用していたもの。プレートの右上にあるのは、シール状の検査標章。その厚みから28年継続して乗り続けてこられたことがわかる。



マフラーエンドの上部に付けられているFUJITSUBOの文字の下にはSantaBarbaraの文字。
本来であれば州名が入るので、Californiaにすべきところだが、ここはオーナーのこだわりで米国在住時代に住んでいた土地の名前を入れた。



テールランプは車検を通すためS31の赤×黄に変更。将来的には黄色のLEDを入れ、カバーだけを赤×赤のコンビネーションにしたいとのこと。



米国在住時はストラットのオーバーホール、タイロッド、ボールジョイント、マウント、ブッシュ類をリフレッシュ。日本に帰ってからはエキマニ・マフラー交換、インジェクター、エアフローメーター、サーモスタット、オルタネーター、ホース類などの消耗品を交換をしている。



掲載:ノスタルジックヒーロー 2011年 10月号 vol.147(記事中の内容はすべて掲載当時のものです)

text:Nostalgic Hero/編集部 photo:Hirano Akio/平野 陽

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